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(3)文久四年(一八六四) 諸口役金月々増減取調帳

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岐阜県歴史資料館・飛騨郡代高山陣屋文書1-55-33

5-3-(3)-1 文久4年諸口役金月々増減取調帳

 文久四年に国内諸口番所で徴収した口役銀を口番所ごとに一か月分ずつまとめて、前年すなわち文久三年分と比べてその増減を記録したものである。
 増減を前年の同じ月と比較している点は、天保十年(一八三九)の増減帳と全く同じである。
 御役所がこの増減帳を何か政策に生かしたかどうか、そのことはよくわからないが、先の例のように、一月分のみ例示してみることにする。
 
  文久四年 諸口役金月々増減取調帳
 
   正月増の分
                        上ヶ洞口
一金五両弐分永七拾三文弐分            野瀬義一郎
                        御厩野口
一金弐両壱分永弐百三拾弐文            岩水隆蔵
                        門和佐口
一金壱両永弐百弐拾弐文五分            田口孫蔵
                        福来口
一金壱両永弐文                  山内直右衛門
                        下原口
一金九両弐分永弐百五拾八文弐分          住為右衛門
                         田中左右助
                        下馬瀬口
一永拾三文七分                  松村郡左衛門
                        大原口
一永弐拾三文五分                 津田秋平
                        二ッ屋口
一金弐両壱分永弐百三拾壱文三分          直井正左衛門
                         鈴木孫七郎
                        小豆沢口
一金六両三分永百壱文               大坪金右衛門
  小以 弐拾九両壱分永百弐拾九文四分
 
   同月減の分
                        上馬瀬口
一永五分                     二村丈助
                        野々俣口
一永百七拾壱文弐分                長瀬詮左衛門
                        荒田口
一金五両三分永九拾弐文              岩城
                        中山口
一金弐両百六文八分                古田孫右衛門
  小以 金八両永弐百弐拾壱文四分
 
    差引
     金弐拾両永百五拾八文 去亥増
                (亥年は文久三年)
 
 以下月別の増減分のみを記す。
 
  二月分
 一金三拾壱両永七拾壱文七分 減
  (荒田口の減二七両が大きい。しかし、その原因はよくわからない。)
  三月分
 一金七両壱分弐百三拾壱文七分 増
  四月分
 一金 不明
  五月分
 一金四両永拾九文八分 増
  六月分
 一金拾四両壱分永百三拾六文三分 減
  (二ッ屋口減金一七両一分がある。原因は不明。)
  七月分
 一金弐拾五両三分永四文四分 増
  (野々俣・二ッ屋・小豆沢・荒田口などの増が大きい。)
  八月分
 一金六両弐百拾弐文五分 減
  (下原口六両、大原口五両減などが大きい。)
  九月分
 一金四両三分永百六拾弐文弐分 増
  十月分
 一金五両永拾八文七分 増
  十一月分
 一金六拾壱両三分百三拾七文九分 増
  (荒田口三二両二分、小豆沢口一一両一分、中山口一八両などの増が大きい。鉱山関係か何か大きなもの
  が、運上金から口役銀へ変わったかもしれない。)
  十二月分
 一金三両弐分永百五拾四文四分 減