散髪の義は勝手たるべき旨、既ニ先年御布告もこれ有り、第一人生の健康を保持し、且つ冗費を省き、其の益少なからず候処、旧習の輩ニ斟酌シ自ら開化ノ域ニ進兼候もの有る哉ニ聞き不都合の事ニ候間、早々散髪致すべき旨、小前洩さざる様申し触れるべく候事、
右の通り仰セ出され候間、小前百姓洩れざる様申し聞け、此の状早々順達、留り村より相返すべきもの也。
第一月九日
高山出張所 朱印
〔解説〕
特別注目すべき布告ではないが、高山出張所(筑摩県)の朱印があるから、「留り村より相返すべきもの也」と指示されているが、この状はそのまま日和田組の名主原家に留め置かれたのであろう。
江戸時代、代官・郡代が朱印を用いることは許されておらず、おびただしく遺されている飛騨の近世文書の中に、朱印が押されている文書は、まず一通もないと言ってよいであろう。
農民が朱印に似せて赤いスタンプ様の印を用いている場合も見られるが、それは朱印ではなく、染色の色であろう。
一般庶民が墨印にかわって朱印を用いるようになるのは、明治二十七、八年以降のことではなかろうか。