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3 慶応四年二月二日付け、郡中会所詰合(つめあい)甲村名主弥助より名主召集の触れ

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態(わざ)と申し入れ候。此の間中申し入れ致し存じ候へども、先御郡代御立退き混雑中ニこれ有るべく覚へ相居り候へども、弥(いよいよ)、御勅使代竹澤様御入国ニ相成り候間、明三日夜までニ高山御着ニ候間、是非(ぜひ)御出張御相談これ有り候様仕りたく、此の段御達し申し上げ候。以上
 二月二日
          郡中会所詰合
            甲村名主
              弥助
 
〔解説〕
 江戸時代、飛騨の郡中会所がどんな働きをしていたのか、まだ十分わかってはいないが、甲村名主弥助はおそらく阿多野郷を代表する「詰合(つめあい)」として、たびたび高山へ出向いていたものと思われる。
 この手紙を読んでみると、このたびの政変が、郡中会所の末端組織にまで大きな影響を及ぼしていた様子が感じられる。
 このあと阿多野郷の名主たちは、直ちに甲村の名主弥助の家に集合して、新しい支配者の受け入れ方等について談合したものと思われる。
 
語意
・態(わざ)と=改めて、謹んで。