ビューア該当ページ

6 慶応四年六月「御一新入用金郡中余荷(よない)割」の内日和田組分の記録

135 ~ 137 / 231ページ
御一新入用
 一金六千五百弐拾弐両
         永六拾文壱分
  高五万六千九百三拾八石壱斗四升五合
   但シ 高百石ニ付
      金拾壱両壱分永弐百五文壱分
  高懸り
 一金四両壱分永百弐拾文
             日和田組
〔解説〕
 この文書にはその出所、差出人の名前が明記されていないが、『飛騨史料』や『萩原町史・第三巻―南飛騨の夜明け』などと照合してみると、明らかに郡中会所から日和田組宛に出されたものであることがわかる。
 ここに御一新入用として記されている
  六五二二両永六〇文壱分
という金額は、慶応四年一月末から同年三月十七日までの間に、飛騨国鎮撫使竹澤寛三郎・同出役梅村速水の入国に際して出費した宿場賄料・人足賃、高山町における接待賄費、及び郡中総代の出張旅費等を集計したもので、その全額を三郡四一四か村が村高に応じて拠出するよう、郡中会所において認められたのである。
 いわゆる郡中余荷(よない・助け合い)の制度(申し合わせ)の適用されることになったわけで、大野郡と吉城郡の代表から、益田街道筋の付け出しが大きすぎるとして一騒動起こったものの、ようやく
 高一〇〇石ニ付キ
 金一一両一分ト永二〇五文一分ツゝ
拠出することに決し、各村々へ通達された。
 日和田組に対しては、
 ・日和田村 三拾石一斗八升
 ・小日和田村 七石九斗六升九合
両村合わせて三八石一斗四升九合に、高懸(たかがか)りとして「金四両一分ト永一二〇文」が割り当てられたのである。
 計算してみると、この金額は郡中会所が決めた「高一〇〇石ニ付き金一一両一分永二〇五文一分」の率にぴったり合っている。
 江戸時代の中期以降、いろいろな理由、項目によって、郡中会所へ納める負担金の額が増えていくが、どの村もよくそれに耐えていった。
参考 「御一新入用用途別一覧」『萩原村史より』
 
 
6-1-(6)-3 維新の郡中総経費表
用 途金 額
下原~高山3,0001
伝馬賄方人足賃505
川上賄入用5652
(人足賃、送り状、酒肴代)2263
宿での包金150  
高山町賄入用6161
398
京都行入用3931
2244
大垣行入用3851
1778
名古屋行入用592
49  
諸方行入用61  
251
郡中入用5711
1613
郡中会所諸願書〆129  
1059
郡中会所諸帳面取調方入用450  
借入金利足見積120  
合 計6,5221
601
(註)鎮撫使御旅宿人足取調帳より作成