一金六千五百弐拾弐両
永六拾文壱分
高五万六千九百三拾八石壱斗四升五合
但シ 高百石ニ付
金拾壱両壱分永弐百五文壱分
高懸り
一金四両壱分永百弐拾文
日和田組
〔解説〕
この文書にはその出所、差出人の名前が明記されていないが、『飛騨史料』や『萩原町史・第三巻―南飛騨の夜明け』などと照合してみると、明らかに郡中会所から日和田組宛に出されたものであることがわかる。
ここに御一新入用として記されている
六五二二両永六〇文壱分
という金額は、慶応四年一月末から同年三月十七日までの間に、飛騨国鎮撫使竹澤寛三郎・同出役梅村速水の入国に際して出費した宿場賄料・人足賃、高山町における接待賄費、及び郡中総代の出張旅費等を集計したもので、その全額を三郡四一四か村が村高に応じて拠出するよう、郡中会所において認められたのである。
いわゆる郡中余荷(よない・助け合い)の制度(申し合わせ)の適用されることになったわけで、大野郡と吉城郡の代表から、益田街道筋の付け出しが大きすぎるとして一騒動起こったものの、ようやく
高一〇〇石ニ付キ
金一一両一分ト永二〇五文一分ツゝ
拠出することに決し、各村々へ通達された。
日和田組に対しては、
・日和田村 三拾石一斗八升
・小日和田村 七石九斗六升九合
両村合わせて三八石一斗四升九合に、高懸(たかがか)りとして「金四両一分ト永一二〇文」が割り当てられたのである。
計算してみると、この金額は郡中会所が決めた「高一〇〇石ニ付き金一一両一分永二〇五文一分」の率にぴったり合っている。
江戸時代の中期以降、いろいろな理由、項目によって、郡中会所へ納める負担金の額が増えていくが、どの村もよくそれに耐えていった。
◎参考 「御一新入用用途別一覧」『萩原村史より』
6-1-(6)-3 維新の郡中総経費表 |
用 途 | 金 額 | ||||
下原~高山 | 金 | 3,000 | 両 | 1 | 分 |
伝馬賄方人足賃 | 永 | 50 | 文 | 5 | 分 |
川上賄入用 | 金 | 565 | 両 | 2 | 分 |
(人足賃、送り状、酒肴代) | 永 | 226 | 文 | 3 | 分 |
宿での包金 | 金 | 150 | 両 | ||
高山町賄入用 | 金 | 616 | 両 | 1 | 分 |
永 | 39 | 文 | 8 | 分 | |
京都行入用 | 金 | 393 | 両 | 1 | 分 |
永 | 224 | 文 | 4 | 分 | |
大垣行入用 | 金 | 385 | 両 | 1 | 分 |
永 | 177 | 文 | 8 | 分 | |
名古屋行入用 | 金 | 59 | 両 | 2 | 分 |
永 | 49 | 文 | |||
諸方行入用 | 金 | 61 | 両 | ||
永 | 25 | 文 | 1 | 分 | |
郡中入用 | 金 | 571 | 両 | 1 | 分 |
永 | 161 | 文 | 3 | 分 | |
郡中会所諸願書〆 | 金 | 129 | 両 | ||
永 | 105 | 文 | 9 | 分 | |
郡中会所諸帳面取調方入用 | 金 | 450 | 両 | ||
借入金利足見積 | 金 | 120 | 両 | ||
合 計 | 金 | 6,522 | 両 | 1 | 分 |
永 | 60 | 文 | 1 | 分 |
(註)鎮撫使御旅宿人足取調帳より作成 |