6-2-(3)-1 野麦峠小屋(天保13年)
古来、信州と飛騨を結ぶ街道はいくつかあったが、高山を起点とする場合、美女峠を越えて甲村・黍生谷・中之宿村を経て、野麦峠越の道が最短で、多くの旅人が通り、物資の輸送にも多く利用されていた。
しかし、高所を通る街道ゆえ、思わぬ風雪にあって遭難することも決して少なくなかった。
そのため、飛騨側の野麦、信州側の川浦では掘立小屋を建てて、旅人の助けに供していたという。
しかし、そのことを物語る史料は遺っておらず、次に示す史料が飛騨側に遺されている最も古いもので、おそらく高山御役所の公的助力による御助け小屋の創始と考えられる。