覚
一 金八両也
右は益田郡野麦村峠小屋取建御普請金の内、前書の金高御下ヶ仰せ付け為(な)され、慥(たし)かに受取り奉り候。以上
天保十三寅年七月 大古井村名主
太郎兵衛 印
高山
御役所
史料「野麦峠小屋取建諸入用帳」によると、野麦峠のお助け小屋の建築には、合計して、金一三両と銭二八四文の費用がかかっているが、そのうちの八両が高山御役所を通して幕府から下げ渡された時の受取証である。
受取人の大古井村名主太郎兵衛は、おそらく野麦村・上ヶ洞村あたりの兼帯名主であったと思われる。
太郎兵衛は明和大原騒動で死罪に処せられた大古井村伝十郎の子孫である。
不足分およそ五両は、郡中入用または郷中入用として集められたものと思われる。