〔本文〕
差上申す御請書の事
阿多野郷野麦村峠の儀は難所ニて、雪中は別しての儀、平日とも往来のもの難渋いたし候ニ付き、凌ぎ方のため今般右峠之小屋御取り建て、重助儀右小屋番人仰せ付けられ、妻子相連れ罷り越し峠ニ住居仕り、孫右衛門儀御請けニ相立ち候ニ付き、左の通り仰せ渡され候。
一公儀御法度の儀は申すに及ばず、都(すべ)て御役所より仰せ付けられ候儀堅く相守り、旦つ地元村方作法等閑
(とうかん)ニいたし候儀これ無き様仕り、身分相慎み相勤め申すべき事。
一往来の旅人病気其の外ニて難渋いたし候儀これ有り候ハゞ、深切(しんせつ)ニ能々(よくよく)世話いたし遣(つ
かわ)し候儀第一の勤めニ付き、乞食非人ニ至る迄難儀の事は見捨てず世話いたし、聊(いささ)かもって不慈
の儀これ無き様能々心附け申すべく候。雪深の節往来差(さ)し支(つか)え候ハゞ、小屋ニて止宿致たさせ、往
来明き候ハゞ早速相立たせ、往来差し支えこれ無き節、余儀無く病気のものは格別。左もこれ無く行き暮れ難
渋致し候までのものは
一夜の義ニても、都て猥(みだ)りニ止宿致させ申す間敷き事。
附(つけた)り 本文世話いたし候儀は施(ほどこ)し取り計らひ候儀ニ付、猥(みだ)らニ礼物等受用致さず、勿
論貪(むさぼ)りヶ間敷き儀決して仕り間敷く候事。
一往来のもの休息いたし居り候内、万一賭(かけ)の諸勝負等相□□候儀等これ有り候ハゞ差し留め、追ひ立て候
様致すべし。若(も)し相用ひず候ハゞ、早速地元村方へ相届け、村役人の差図を受け申すべき事。
但し、小屋近辺ニての儀も同様心得べき事。
一往来のもの病気其の外異変の儀は勿論、万一ねだりヶ間敷き儀申し候ものこれ有り候欤(か)。胡乱(うろん)成
(な)るもの徘徊(はいかい)いたし候ハゞ、早速村役人へ相届け申すべき事。
一御林山内諸木一本たりとも猥りニ伐り取り候儀堅く仕り間敷く、薪等ニ入用の分は村方差図を請け相用ひ候様
仕るべき事。
一都(すべ)て往来のもの難儀致さざる様御施(ほどこ)しニ御建て遊ばされ候小屋の儀ニて、山野ニこれ有り候茶
店抔(など)の儀自侭(じまま)ニ住居いたし候心得ニては相成らず、当人の儀ニ付き御趣意の趣(おもむ)き厚く
相心得、猥りの儀これ無き様仕り、当分往来のもの凌ぎ方為合(ためあい)ニ相成る御施しの詮(のり)相立つ様
精々心附け相勤めるべき事。
右の通り仰せ渡され御請け仕り候ニ付き、仰せ渡されの趣逸々堅く相守らせ、都(すべ)て不取締りの儀これ無く、御趣意行き届き候様仕るべく、且つ重助並びニ妻子共身分ニ付き如何様(いかよう)の儀出来候とも、請人方へ引き請け、地元村其の外に対し聊(いささ)か難儀相掛け申す間敷く候。これに依り、御請書差し上げ申す処、件(くだん)の如し。
高山弐之町村
天保十二丑年七月 重助 印
同 壱之町村
親類証人
孫右衛門 印
組頭
伊兵衛 印
高山
御役所
〔語句〕
・等閑(とうかん)=なおざりにすること。
・往来明き候ハゞ=雪が止み、道が通行可能となったならば。
・胡乱(うろん)成るもの=身分が確かでなく怪しい者。
・為合(ためあい)=ため。利益。
・詮(のり)=方針。考え。理想。
・御林山=幕府や藩の山。農民の立入を禁止されていた山。薪等の伐刈りを許されている百姓山もあった。
〔解説〕
高山弐之町村重助が、野麦峠のお助け小屋の番人を仰せ付けられた時の御請証文である。
文章は御役所の役人が作成して、高山町の筆工が清書したものである。
この請書の要点は、このお助け小屋はあくまで御公儀の御慈悲によって建てられたものであるから、たとえ少しでも私の心を起こして礼物などを受け取ってはならない。たとえ相手が非人・乞食であっても、難儀の者を見捨ててはならないと戒めている。
お役人が作成した文章であるが、通り一遍に終わらない、心を打ち込んだ文言となっているのは飛騨という国の国柄であろう。