ところで、玉林の子孫大谷家には、玉林が四国八十八カ所霊場順礼の時に肌身はなさずに携行したと思われる一枚の木札(通行証)が遺されている。
おそらく、四国に渡った玉林が最初に参詣した第七十八番札所・仏光山道場寺(現郷照寺)で発行されたものであろう。
六カ所に穴があり、細ひもが通されている。
文化四年卯五月朔日
表 □奉納四国順礼同行二人
飛州大野郡 大谷玉林
内
裏 □南光大師遍照金剛
註1、「同行二人」は、弘法大師空海とごいっしょに、大師に見守られながら旅をするの意で、奥の細道を旅
した芭蕉も、「同行二人」の旅であると書いている。
註2、木札の表の左側下に「大谷玉林」という名前に並んで「内」らしい文字が読みとれる。
もしこの文字が「内」であれば、玉林は妻と二人で四国八十八カ所順礼の旅に出たことになる。
他に確証となる手がかりがあれば確かめてみたいところである。