7-2-(2)-1 西国三十三所巡拝納経帳
この納経帳は、大野郡小木曽村佐蔵が、文政十二年(一八二九)の冬、およそ五〇日かけて西国三十三所を巡拝した時のものである。
西国三十三所には、那智山・壺坂寺・大和長谷寺・石山寺・三井寺・京都清水寺・谷汲山など有名寺院が数多く組み込まれているが、四国八十八カ所霊場に比べると修験的な厳しさは薄く、有名な古刹を訪ねて歓びにひたるといった順拝であったようである。
従って、必ずしも札所の番号を追って順拝するとは限らず、また、佐蔵の納経帳と今日寺院側から出されている西国三十三所案内などとを比べてみると、山号・寺名・本尊が両者で一致していない場合が非常に多い。
しかしそれは、西国三十三所のおおらかさ、民衆により近く親しまれてきたことによるのであろう。
今日でも壺坂寺を南法華寺と言う人はなく、六角堂の寺号が頂法寺であることを知っている人は少ない。谷汲山は谷汲山であって華厳寺でなくてもよいのである。
次に、佐蔵の納経帳の中から、いくつか昔の記帳例を拾ってみよう。
① 現壺坂山南法華寺
奉納経
本尊 千手観世音
丒 和州
十二月朔日 壺坂寺
② 現豊山長谷寺
奉納経
勅願所
本尊 十一面大士
丒 大和国
十二月二日 長谷寺
③ 現石光山石山寺
奉納経
西国第十三番
江州石山寺伽藍
丒 役者
十二月三日
④ 現音羽山清水寺
奉納
西国十六番
本尊 十一面大士
丒 清水寺
十二月九日 役者
(現在本尊十一面千手千眼観音)
⑤ 現谷汲山華厳寺
奉納
谷汲山円通殿
丒 十二月廿八日
ちなみに、現在の丹生川町・上宝町・神岡町などでは、江戸時代に「西国三十三所」を巡拝した記念に建立された石碑を見ることがある。
西国三十三所の巡拝は、伊勢・信濃善光寺・越中立山・秋葉山等についで、一般民衆に親しまれてきた信仰の地であったのであろう。