7-2-(3)-1 花火帳
個人所有文書の中の参考資料としてこの花火帳も紹介する。この「大花火(帳)」は、延享元年(一七四四)に作成されたものを、享和三年(一八〇三)に書き改められたもので、五七種類の花火の原料の配合割合を記している。
花火の原料は、煙硝は「えん」、硫黄は「ゆ」、灰は「はひ」、鉄粉は「てつ」、樟脳は「しやう」などと記載されている場合が多く、花火の名称もひらがなが多い。
〔表紙〕
享和三年
五拾七色大花火
亥七月改
〔本文〕
延享元[ ](欠損)
ひろまる大あ[ ](欠損)
花かず五拾七いろ有り
くじやく(孔雀)
一弐拾匁えん 四匁七分ゆ
七匁七分はひ 拾九匁てつ
大ぼたん
一五匁六分えん 壱匁七分ゆ
壱匁一分はひ 弐匁弐分てつ
しらちや(白茶)
一七匁弐分えん 壱匁ゆ
七匁五厘はひ 弐匁三分てつ
玉び
一拾匁えん 壱匁壱分しやう
四匁ゆ 五匁はひ
つな火(綱火)
りゆうせい(流星)にもよし
一拾三匁えんしやう 壱匁ゆ
弐匁はひ
く志やく
一拾五匁えん 弐匁ゆ
三匁五分はひ 八匁てつ
ひぼたん
一弐拾匁えん 壱匁五分ゆ
五匁はひ 拾五匁てつ
山桜
一拾匁えん 弐匁ゆ
壱匁五分はひ 四匁てつ
白ぼたん
一拾匁えん 壱匁七分ゆ
壱匁八分七厘はひ
三匁七分五厘てつ
七夕
一拾匁えん 壱匁八分ゆ
壱匁五分はひ 七匁てつ
楓
一拾匁えん 六分弐りんゆ
八匁七厘はひ 五匁てつ
ききやう
一五匁えん 壱匁ゆわう
壱匁はひ 弐匁五分てつ
しだれ桜
一八匁えん 弐匁いわう
三匁はひ 弐匁てつ
大田
一七匁えん 五匁いわう
壱匁はひ 弐匁てつ
はひ□(ねずみ)
一拾匁えん 壱匁いわう
壱匁はひ 壱匁てつ
大なし
一弐拾匁えん 九匁いわう
五匁はひ 拾四匁てつ
からにしき
一拾匁えんしやう 五匁いわう
三匁はひ 八匁てつ
たますだれ
一拾六匁えん 弐匁いわう
壱匁弐分はひ 三匁五分てつ
ぼたん
一拾匁えん 七分いわう
六分はひ 三匁てつ
てまり
一拾匁えん 弐匁いわう
五匁はひ 七匁てつ
ちやう
一拾匁えん 弐匁いわう
壱匁はひ 六匁てつ
むさし野
一弐拾匁えん 三匁いわう
拾壱匁はひ 弐拾匁てつ
大ぼたん
一拾匁えん 三分はひ
七分いわう 四匁てつ
是はみじん
をゝこし
一拾匁えん 三匁はひ
弐匁いわう 九匁てつ
野草
一拾匁えん 弐匁一分はひ
三匁六分いわう 八匁てつ
水せん(水仙)
一拾匁えん 壱匁五分はひ
壱匁五分いわう 四匁てつ
大山木(泰山木)
一弐拾壱匁えん 五匁はひ
九匁いわう 拾七匁てつ
大桜
一拾匁えん 三匁はひ
弐匁七分いわう 拾弐匁てつ中
つなび
一拾四匁えん 弐匁五分はひ
壱匁四分いわう
都わすれ
一拾匁えん 三匁いわう
三匁はひ 拾六匁てつ
きゝやう(桔梗)
一拾匁えん 弐匁いわう
五匁はひ 壱匁てつ
玉柳
一七匁えん 壱匁三分いわう
三匁四分はひ 五匁てつ
南天ほし
一弐拾匁えん 五匁いわう
三匁はひ 拾七匁下てつ
りうせひ(流星)
一拾五匁えん 壱匁いわう
三匁はひ
りうせい
一拾匁えん 壱匁八分ゆ
弐匁はひ なつびニもよし
はちニもよし
惣まくり
一拾匁えん 弐匁七分いわう
弐匁八分はひ 三匁壱分てつ
国の王
一拾匁弐分えん 四分いわう
三匁弐分はひ 六匁弐分てつ中
いとび(糸火)
一八匁えん 壱匁五分いわう
弐匁弐分はひ 壱匁五分てつ
ぐんじのニしき
一拾匁えん 三匁いわう
五匁はひ 拾五匁弐分てつ
ふせんてう(浮線蝶)
一拾匁えん 四匁いわう
壱匁はひ 壱匁しやうのう
菊用
一拾匁えん 弐匁いわう
五匁はひ 七匁てつ
からうつき
一拾匁えん 壱匁いわう
三匁はひ 拾匁てつ小
出桜
一三匁えん 弐匁五分いわう
壱分五厘はひ 壱匁てつ
から松
一九匁えん 壱匁一分いわう
四匁壱分はひ 壱匁五分てつ
れんげ
一拾匁えん 壱匁いわう
弐匁はひ 六匁てつ
江戸桜
一拾匁えん 壱匁いわう
弐匁はひ 六匁てつ
夕かを(夕顔)
一五匁えん 七分いわう
壱匁はひ 五匁てつ小
玉やなぎ
一拾匁えん 弐匁いわう
五匁五分はひ 拾匁てつ
せきちく(石竹)
一弐匁えん 六分いわう
八分はひ 三分てつ
からもも
一拾匁えん 三匁いわう
弐匁はひ 七匁てつ小
てうちん(提灯)
一五匁えん 四匁一分いわう
壱分はひ 三分五厘しやうのふ
にしき
一拾匁えんしやう 三匁五分いわう
弐匁弐分はひ 拾五匁てつ
よばひぼし
一拾匁えんしやう 六匁弐分いわう
三匁はひ 八匁てつ
野むら
一拾匁えん 弐匁いわう
弐匁はひ 四匁てつ
したん
一九匁えん 三匁いわう
弐匁はひ 三匁てつ中
きく
一拾匁えん 弐匁六分いわう
弐匁はひ 八匁てつ中
なし花
五十七ノ外
一拾匁えん 三匁いわう
三匁五分はひ 四匁てつ
らんつゝじ
一拾匁えん 弐匁いわう
三匁はひ 九匁てつ
せきちく(石竹)
一弐匁えん 六分いわう
八分はひ 三分てつ
からつばき
一拾弐匁えん 壱匁いわう
壱匁はひ 弐匁てつ
すゝき
一拾匁えん 七分五厘いわう
壱匁九分はひ 弐匁てつ
竹
一拾匁えん 弐匁いわう
壱匁はひ 拾匁てつ
有明(ありあけ)
一拾匁えん 壱匁五分いわう
七分はひ 六分しやうのふ
からかさ火
一四匁えん 三匁弐分いわう
八分はひ 五分てつ
ふとうのらつくわ(落火)
一六匁えん 六分八りんいわう
三匁四分はひ 壱分てつ
のふせん
一四匁えん 三分いわう
二匁はひ 四匁てつ
(き)
かけつばた
一拾弐匁えん 壱匁いわう
壱匁はひ 弐匁てつ
やり
一八匁えん 壱匁弐分いわう
弐匁弐分はひ
はき(萩)
一拾匁えん 壱匁いわう
三匁はひ 九匁七分てつ中
よしの
一拾匁えん 三匁いわう
弐匁はひ 八匁てつ中
から杉
一拾匁えんしやう 五分いわう
八分はひ 弐匁てつ
玉火
一拾匁えん 四匁いわう
四分灰 六分しやうのふ
成程こまかニして水にてこね、竹つゝに入れ
玉とこと入れまぜ候がよし。
したん
一九匁えんしやう 三匁いわう
弐匁はひ 三匁てつ
しのぶ草
一弐拾弐匁 えん 四匁いわう
五匁 はひ 拾弐匁五分てつ
すゝき
一弐拾三匁えん 五匁いわう
三匁三分 はひ 拾五匁六分てつ
ふなび
一三拾匁えん 六匁いわう
七匁はひ
すだれ柳 (硫黄)
一弐拾四匁えん 三匁四分五厘イ
三匁七分はひ 壱匁四分五厘てつ中
せんよ桜
一三拾匁えん 六匁いわう
六匁はひ 拾匁てつ
大かみなり
一弐拾匁えん 七匁いわう
七匁はひ 弐拾匁てつ
ききやう
一拾匁えん 弐匁五分イ
弐匁五分下はひ 壱匁てつ
壱匁五分方カ子(不明)
ふじの花
一拾弐匁弐分えん 七分イ
八分はひ 三分てつ
むらさき
一四匁え(ん) 壱匁一分はひ
一匁一分イ 八分てつ
大さめ
一九匁え 壱匁五分イ
壱匁五分は(ひ)八匁てつ
ほらふき
一拾六匁え 五匁イ
四匁は 拾五匁てつ
つゞみ
一拾三匁弐分え 弐匁弐分イ
壱匁八分は 八匁六分てつ
はぐろ
一拾五匁え 三匁イ
四匁四分は 拾一匁弐分てつ
天下無相
一拾五匁え 六匁イ
三匁は 拾九匁てつ
あらさめ
一拾匁え 壱匁四分イ
三匁四分は 拾匁てつ
(双)
無相伝
一拾匁え 壱匁四分イ
三匁四分は 拾匁てつ
たまつばき
一拾匁え 弐匁六分イ
弐匁六分は 拾匁てつ
よあけ
一拾八匁え 五匁弐分イ
三匁は 弐拾四匁てつ
村がらす
一弐拾三匁五分え 六匁イ
四匁七分五厘は 三拾匁てつ
文こん
一拾匁え 弐匁いわう
弐匁五分は 五匁てつ
一町きく
一拾匁え 壱匁一分イ
一一匁弐分二りんは 弐匁五分てつ
しやくやく
一壱匁え 壱匁一分イ
九分は 四匁てつ
拾匁えん 弐匁いわう
くじやく 金はく三枚 四匁すゞ
八分あかゞね 七分はひ
此の本、何方へ参り候とも、私方迄、早速遣はされ下さるべく候。
以上
大谷久兵衛
亥七月廿九日
連判中様
〔考察〕
この花火帳の表紙には「享和三年(一八〇三)七月改め」とあり、本文の書き出しには延享元(一七四四)とあるから、享和三年より六〇年も前から、小木曽村あたりでは、自分の手で原材料を調合して、花火を打ち上げていたことがわかる。
また、この花火帳の終わりに、「この本、何方へ参り候とも、私方迄、早速遣はされ下さるべく候」と書かれているから、当時、他の村でもこの花火帳を借り出して花火を作っていたものと推測される。
しかし、この花火帳は花火の原料の調合の割合を示したもので、花火の具体的な調合法や打ち上げの方法については、ただ一箇所、玉火のところに、
拾匁えん(煙硝)、四匁いわう(硫黄)
四分灰 六分しやうのう(樟脳)
成程(なるほど)(できるだけ)こまかにして、水にてこね、竹つつに入れ、
玉とこ(粉)と入れまぜ候がよし。
の記述が見えるのみである。
そこで、花火に関する記述を他に探してみると、『大八賀村史』に
寛政二年(一七九〇)、大谷村日輪権現社(現日輪宮)にて臨時大祭が執行された時花火が打ち上げられた。花火師は高山三之町の長瀬屋与四郎である(要約)。
とある。
つまり、花火の原料の調合は村内で行うとしても、実際の花火の打ち上げには、高山町の花火師を頼んでいたということである。
高山町には昭和の初めまで幾人か花火師がいたと言われ、江戸時代半ばころから飛騨国内の各地で、かなり盛んに花火の打ち上げが行なわれていた形跡がある。
御役所から郡代名で花火打ち上げの禁令がたびたび出されているのも、そのことを裏づけている。
江戸時代、祭礼の時に打ち上げられた花火は、神事の一部であり、祖先の魂祭りであった。
花火帳の管理や書き改めも、名主の重要な勤めの一つで、代々受け継がれてきたようである。写し手の大谷久兵衛は、玉林。