天保九年十月十日 高山御役所御用板運送の牛方が肴荷を着けて運送したので、御用板を先にすべきであると、御役所より注意を受けた。
天保十二年十二月四日 益田筋へ運送する牛方、本年夏以来駄賃を引上、又過当の駄賃を貪る者があるので、最寄組頭三人を呼出し、早速取調べよと高山御役所より申渡された。
天保十二年十二月大日 高山の牛宿三軒に就て取調べ、当夏以来荷物が嵩み、運送に差支、自然牛方の運賃が高くなったわけであると御役所へ申上た。
天保十三年二月 荷問屋願人川原町松木屋甚兵衛より運賃を定め、高山御役所へ願出た。荷問屋の世話賃は夫食荷物は一駄鐚十二文、以外の荷物は一駄鐚二十四文と定めた。
天保十三年二月 高山に荷問屋を置くことになったについて、牛方惣代・肴屋惣代・酒屋荷方惣代・商人荷方惣代・荷問屋が取締規定を取交わした。
規定の内容
・駄賃積り書通り守るべきこと、 ・荷問屋は受荷順に牛方に渡すこと、
・荷問屋の送り書のない荷物は取扱はないこと、
・牛方より荷問屋庭賃其外宿々口銭等を差出すへきこと等。
(角竹文庫記録)
天保十三年 高山より益田筋、美濃上有知迄、位山道阿多野道の荷物の運賃を規定した。
7-3-(2)-1 高山より附通駄賃一駄積 (但目方三十貫目より三十三貫目迄) |
夫食荷 | 商ひ荷 | 備考 | |
久々野 迄 | 二一八文 | 二七八文 | |
小坂宿 | 五一〇 | 六五四 | 山方御買請米駄賃は仕来の積 |
宮田村 | 五八〇 | 七四八 | |
尾崎村 | 六七八 | 八六六 | 川越見込 |
上呂村 | 六七八 | 八六六 | |
馬瀬中切村 | 八二六 | 一貫〇五四 | 峠難場川越見込 |
黒石村 | 九〇〇 | 一、一四八 | 同上 |
野上村 | 七一七 | 九一五 | 川越見込 |
羽根村 | 七五二 | 九六〇 | 川越見込 |
名丸村 | 九〇〇 | 一、一四八 | 峠難場川越見込 |
惣島村 | 九七〇 | 一、二四八 | 同上 |
萩原村 | 七二八 | 九三六 | |
上村 | 七六三 | 九八一 | |
花池村 | |||
中呂村 | 八〇二 | 一、〇三〇 | |
東上田村 | 八三七 | 一、〇七五 | |
跡津村 | 七五二 | 九六〇 | |
西上田村 | 八六一 | 一、一〇三 | |
下呂宿 | 八六二 | 一、一三二 | |
保井戸宿 | 一、一二九 | 一、四五一 | |
下原宿 | 一、三八二 | 一、七七八 | |
位山道 | |||
山之口村 迄 | 五四八文 | 六〇〇 | |
尾崎村 | 六三二 | 七〇〇 |
阿多野通(但目方二十七貫目より三十貫目迄)
甲宿迄 二八六文
阿多野筋夫食並諸白木荷等高山荷問屋庭賃共見込一駄賃銭道法一里に付鐚七十文之目当山坂難場見計在来仕来之通
黍生谷宿 五一四文
甲宿…黍生谷宿 二二七文
黍生谷宿…中之宿 一五四文
中之宿…上ヶ洞村 一四八文
上ヶ洞村…野麦宿 二五四文
野麦宿…信州川浦村 二七八文
高山より濃州上有知迄
諸白木荷附通一駄賃金当寅年分定
牛四疋曳
一、四駄賃金一両一分
但挽割板其外重目荷の分、一駄目方三十四・五貫目駄賃金一分一朱の積
一、前同断金三分二朱
但一駄目方二十四・五貫目、駄賃銀十三匁一分二厘五毛の積
国中拂之葺榑
上ヶ洞村より高山町迄
一、一駄に付賃銭一里四十八文つゝ (角竹文庫記録)
慶應三年十月九日 高山三之町屋貝権四郎に、商荷物(塩と肴荷を除く)継立問屋を高山御役所より、仰付られた。(廻状留)
明治四年十月 高山二之町小出集蔵・長瀬清作同三之町住山長左衛門の三人、入札を以て商荷継立を受負うことになった。
久々野宿へ道法 三里 一里一駄に付賃永 六十八文
三ッ谷宿へ道法 三里半 同断 永百五文
古川宿へ道法 三里七分五厘 同断 永八十二文
八日町宿へ道法 三里 同断 永九十二文
甲宿へ道法 同断 同断 永七十五文
但、信州松本迄附通之分一駄に付金五十匁・一里に付永百八十七文五分
但、庭賃一駄に付永二十文、爲替金利足一両に付永十文(高山里正僚文書)
明治六年一月 全国の伝馬所廃せられ、中牛馬会社を設けることになったについて、野村文七郎・田島知平・山田清九郎の四人に、運送請負方の許可を筑摩県宛願出た。(願書留)
明治六年六月 信州街道は国産生糸の輸出路であるから、阿多野宿に中牛馬会社を設けられたいと請負願人より県令へ再願した。
乍恐以書付奉願上候
先般中牛馬会社取開の義に付奉願上候処、御添翰下け渡に相成
難有頂戴仕、御本県御廰へ奉出願候処、追々高山御出張所に於
て御下知可被爲在候趣被仰聞候に付、早速歸国仕候処、未た御
聞済の御沙汰無御座候間、恐多不奉顧今般再応奉願上候、当町
より信州松本迄の義は未た陸運会社御取開に不相成、右道筋の
義は御国産の生糸輸出の道筋に御座候、殊に新糸出来の時節に
も近寄候に付、阿多野宿に中牛馬会社設立仕諸荷物早引便利に
相成候様仕度奉存候間、何卒右之段御許容被成下置度奉願上候。
(下略)
中牛馬会社請負願人
甲宿 長瀬伝十郎
黍生谷宿 清水太郎作
中之宿 長瀬久左衛門
野麦宿 奥原半六
高山 西川原町 田島知平
同 一之町 森多祿
同 一之町 野村文七郎
戸長御中 (願書留)
明治六年九月 太政官布告を以て、私に物貨の運送業を営むことを禁止されたので、歩荷・飛脚営業者も惣て陸運会社に属し、鑑札を請けねばならぬ事になった。(布告)
明治八年六月二十五日 高山町・甲村・黍生谷村・野麦村駅村における人馬継立、物貨運送は中牛馬会社法に依ることを止め、通運会社法に依り取扱ふべしと筑摩県令より布達した。(布告)