武豊町役場

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武豊町役場

 町の行政全般を司り、今日の町勢の原動力ともいうべき役場は、ヒジリ田78番地(現近藤醫院北)に小さな二階建をもつて設置せられたものであつたが、町勢の進展に際し、其の位置があまりにも町の中心部から遠ざかつており、何かと町行政に不都合の点が多かつたので、明治41年10月、現在の位置に移された。其の當時の役塲は記録によれば町長以下8名の吏員をもつて組織されたものであつた。今日31名の吏員と、80坪余り改築をみた役場を見る時、60年間に於ける町の發展は、如何に大であつたかを知ることが出來る。尚古老の語るところによれば、移轉當時は、附近は一帶の田野にして、其の中に新裝なつた役場は近代文化の粹を集めたものとして、行き交う人の耳目を奪つたという。特に昭和23年4月には、修築工事費、489,491円10錢 地震破損修築費、86,088円をもつて今日の役塲を完成し、町行政の面に一段の重きを加えたのである。
尚こゝに歴代の町長について御知らせしよう。
氏名始期終期
中川常太郎明治22年10月 2日26年 5月31日
中川佐一郎明治26年 5月31日27年 5月27日
土平要太郎明治27年 7月25日29年 2月24日
淸水佐次兵衞明治29年 2月25日29年 5月27日
靑木彌六明治29年 5月28日29年 7月 8日
靑木彌六明治29年 9月 1日30年11月26日
石川善平明治31年 1月 8日31年 4月29日
中川定平明治31年 1月 8日31年 9月24日
土平松太郎明治31年10月31日34年 3月12日
山崎德松明治34年 3月30日35年 1月14日
出口重之右ェ門明治35年 3月14日38年 3月13日
出口重之右ェ門明治38年 3月17日39年10月26日
澤田直好
(町長事務取扱)
明治40年 3月25日40年 5月 3日
杉本甚太郎明治40年 5月 3日42年 4月15日
出口又右ェ門明治42年 5月11日42年 6月25日
出口又右ェ門明治42年 7月29日43年 4月16日
山崎德松明治43年 5月17日44年 5月11日
榊原充明治44年 6月12日45年 3日11日
中川常太郎明治45年 4月10日大正3年 8月 5日
中川定平大正3年 8月15日4年 1月 4日
靑木彌六大正4年 1月22日6年12月28日
出口又右ェ門大正6年12月28日7年 6月21日
土平吉三郎大正7年 7月17日9年 3月31日
土平要太郎大正9年 4月13日10年 1月 4日
籾山政一大正10年 3月17日10年12月17日
清水佐次兵衛大正10年12月28日12年10月21日
加藤新三郎大正12年11月 8日14年 4月23日
靑木市松大正14年 5月21日昭和4年 5月20日
中川惣平昭和4年 6月 1日4年10月 8日
土平松兵衛昭和4年10月21日6年 1月20日
中野久四郎昭和6年 4月 9日10年 4月 8日
土平利夫昭和10年 5月30日10年10月10日
中野久四郎昭和10年10月30日14年10月29日
加藤新三郎昭和14年11月 6日18年11月 5日
加藤新三郎昭和18年11月 6日21年 1月 5日
中川益平昭和21年 1月 6日22年 4月 7日
中川益平昭和22年 4月 8日現職