名鉄武豊驛

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昭和7年7月1日創立、當時の運輸収入をみると、乘車人員204名、降車人員131名、運輸収入35円73銭、當時の知多武豊驛は列車の離合不能驛であつたが、昭和8年7月10日構内工事完成と共に離合可能驛となり知多鉄道の主要驛としてその地位を占む。次いで乘降客も漸增の一途をたどり、昭和22年3月1日驛舎の增築工事の完成を見て今日の總建坪36坪余の知多武豊驛となる。
 尚昭和18年3月1日には、私鉄會社の統合が行われ、名古屋鉄道に合併されて名稱も名古屋鉄道知多線知多武豊驛となつた。昭和23年5月16日の改正により知多線が、河和線となつて今日に至つている。
 省線武豊驛と相俟つて、本町の政治、經濟、教育、文化、觀光、産業等に影響する處非常に大きく創立當初より約80%增加の數を現わし、驛前、道路の發展にも寄與し、武豊町の玄関的役割をしめ其の發展は將來を期待する處大なり。