堀田稻荷社
本町の氏神については先に述べたので省略し、こゝでは稻荷神社について簡単に沿革を述べよう。
1、鎭座地 武豊町字川脇六番地
2、祭 神 稻倉魂神(うがのみたまのかみ)
2、祭 神 稻倉魂神(うがのみたまのかみ)
本社名を棟札、石燈籠、社標により考察するに、延享(1744年)明和(1764年)頃は、「稻荷明神」と記され、文化(1804年)以降「稻荷大明神」となり、同じ六年には「正一位の文字が入つて「正一位稻荷大明神」となる
嘉永三年(1850年)以降に更に「堀田」の鎭座地名が冠せられて「正一位堀田稻荷大明神」と記され、明治四年に至つて、「堀田稻荷神社」となり現在では一般より「堀田稻荷」と稱されるようになつた。
本社鎭座に関しては、殘念ながら其の史料がないので不詳であるが「神樂殿奉納寄附名簿」によれば今を去ること340年前元文五年(1536年)の昔から鎭座します神であることは明らかであり、伏見の稻荷神社と御祭神は同様である。祭神は、五穀を御守りになり、商業に航海、漁業の神として古くより、庶民の信仰厚いことは今更申すまでもなく、祭例の參拜者多きことをみてもそれを如實に語つている。