ビューア該当ページ

二、古墳分布と古墳群

26 ~ 27 / 1069ページ
 九十九里地域を貫流する栗山川とその支流域の台地の上、ことにその支谷に面する縁辺部には大小の古墳群が展開している。関東地方で群集墳が始まるのは五世紀末以後であり、急激に増えるのは六世紀後半以降とされている。
 多古町に存在する古墳の分布については、昭和三十三年に県立多古高校の社会科クラブの調査した記録があるが、それによると、町域の古墳区分(古墳群)は一二ブロックに細分され、全体の古墳数は四〇〇基前後になるものと推定されている。次に昭和五十六年に多古町教育委員会の刊行した『千葉県多古町埋蔵文化財分布地図』によれば、古墳の数は消滅したものも含めて三一〇基となっている。
 現在では古墳群は四三群、三六〇基以上が確認されているが、小規模の目立たない円墳が多く、また山林などで隠れているものも多いので、今後その数はさらに増加するであろう。
 古墳群の中では、坂並白貝(さかなみしらかい)古墳群(北中)の六九基(その一割強が前方後円墳、他は円墳)、三明寺古墳群(飯笹)三五基(前方後円墳二基、方墳三基、他は円墳、ただし円墳の内一三基は消滅)、坂・土仏(どぶつ)古墳群(坂字土仏)三三基(前方後円墳二基、方墳四基、他は円墳、内一基は消滅)、五十塚(ごじゅうづか)古墳群(谷三倉(さくみくら))円墳三二基、大塚古墳群(喜多井野)二四基(円墳二三基、方墳一基)などが規模の大きなものである。