この時代は仏教の伝来した五三八年ごろから七一〇年の平城京遷都までをいう。都がおおむね奈良県南部の飛鳥(あすか)地方に置かれ、日本古代国家が初めて形を整えようとした時期であり、法隆寺に代表される飛鳥文化の花開いた時代でもある。
この時代と次の奈良時代とは、年代的に古墳時代後期と重なり合っており、後期の頂点が飛鳥時代である。古墳の造営は畿内では七世紀後半で終わるが、地方では八世紀以後まで続いている。前節で述べたとおり当町の北条塚古墳や坂並白貝古墳群、井野飯笹古墳群はいずれも後期古墳である。
この時代の土器は古墳時代と同様、土師器と須恵器で、土師器の年代はほぼ晩期前半の真間期に当たっている。当町の八田遺跡、大原遺跡からはこの時期の遺物や住居跡が発見されている。