『延喜式』の規定によれば、国の指定する牧は、(一)諸国馬牛牧、(二)御牧(勅旨牧)、(三)左右馬寮牧(近都牧)がある。
第一の国牧は兵部(ひょうぶ)省の所管の下で国司が管掌し、主として軍団用・駅逓用の馬を飼育した。関東・四国・九州の一九カ国三九カ所に置かれ、下総には高津馬牧のほか大結(おおゆい)・木島・長州(ながす)の四馬牧と浮島牛牧があったが、それらの所在地は現在必ずしも明らかになっていない。
高津馬牧は、江戸時代の矢作(やはぎ)牧に当たるとされ、多古町高津原はその南部と考えられている(村岡良弼著『日本地理志料』、『房総農業史』ほか)。しかし、八千代市高津を中心とした地域を当てる説もあり、その付近は後の小金牧の一部に当たっている。