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二、真言宗妙薬寺と顕実寺の開創

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 平安時代の初期、仏教界では最澄(伝教大師)、空海(弘法大師)によって天台宗・真言宗が唱導された。ともに天皇や貴族の尊信と保護を受け、大いにその教勢は伸展した。ことに空海(七七四~八三五)は密教による現世利益の加持祈禱を行って喜ばれ、真言宗は広く普及した。このころから仏教は神仏習合の思想を進めて、日本古来の神道と融合し、民間にも広く信仰されるようになった。
 当町で平安時代に開創されたと伝えられる寺に、妙印山妙薬寺と法王山顕実寺があり、初めはともに真言宗であった。
 妙薬寺は大同年間(八〇六~九)に弘法大師によって開基されたと伝えられる。薬師如来を安置し、本山の高野山に対して「新高野」と称した。後に日蓮宗に改宗し、大正初年に廃寺となっている。多古第一小学校のある木戸谷(きどやつ)の奥にあり、その前の地を高野前といったのが、その名残りとして今に残っている(地域史編多古参照)。
 顕実寺は東松崎にあり、大同三年(八〇八)に開かれた。開山は清澄寺(天台宗)を開いた不思議法印といわれている(地域史編東松崎参照)。不思議法印の名は清澄寺の縁起に見えるが、縁起作者の創作ではないかと考えられている。顕実寺も後に真言宗となり、さらに日蓮宗に改宗している。

東松崎顕実寺

 弘法大師は諸国を回って教えを広め祈禱を行ったので、庶民の間で厚く尊崇され、各地の伝説に登場する機会の最も多い人物となっており、大師講は今も全国各地に残っている。当町にも弘法大師にまつわる伝説が二つあり、東松崎の松崎神社の逆さいちょうと、井戸山大師堂の石芋の伝説とが、ともに弘仁(にん)年間のこととして伝わっている(地域史編東松崎・井戸山参照)。そのような伝説や民話を生んだ大師信仰が古くから当地方でも盛んであったことがわかる。