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三、中世の城砦(さい)

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 本町には、平安時代末期から戦国時代末期までに築かれた館(たて)や城砦・物見台などの跡が多数残っている。すでに見てきたように、この地方には平安時代以来、諸流の千田氏や、それらと主従関係を結ぶ在地の武士が各地に散在しており、それぞれに要害の地を選んで城砦を構え、それを防衛拠点として武士団を組織していた。

城砦・寺院旧跡分布図

 現在二〇を越える城砦跡が認められるが、それらは中世を通して戦国時代末期までの約四百年の間に築かれたもので、地域の支配者が変わり時代と周囲の情勢が変わるたびに所を変えて造られたものと思われる。
 中世の城はいずれも自然の地形を最大限に利用し、それに若干人工を加えた程度のものであるが。地形の変化に富むこの地方は築城には好適な場所が多い。現在、土塁や空堀・犬走りなどの遺構の認められるものも少なくない。一般に台地が樹枝状に伸びたその先端部に造られることが多く、空堀で城の背後、台地の側を区切って防衛線としている。またその周辺に馬場など城と関係ある小字名を残す城跡も多い。
 以下、本町域の城砦名を列挙する。その所在地を地域史編各章の名で示したので、城主その他についてはそれぞれの章を参照していただきたい。なお※印を付けたものはその遺構について後述した。
 ※多古古城(多古)、※多古城(多古)、※源氏堀(館)(多古)、志摩城(大島城か)(島)、水戸城(城の台)(水戸)、大原城(大原)、大島城(船越)、牛尾城(牛尾)、次浦城(次浦)、新城(にいじょう)(西古内)、土橋(つちはし)城(御所台)、井戸山城(井戸山)、※三倉城(本三倉)、仁良切(にらきり)城(東松崎)、松崎城(東松崎)、※玉造城(南玉造)、中城(南中)、飯土井城(分(わけ)城ともいう)(南中)、壺岡城(北中)、並木城(南並木)。このほかに遺構が確認されないものに飯笹城(飯笹)、間倉城(間倉)がある。
 これらの中には城とも砦とも考えられるものがあって名称が一定しないが、地元の呼称に基いて一応城とした。以上の他に次浦八郎常盛館(次浦)がある。