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第一節 初期の多古支配者

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 天正十八年(一五九〇)八月、徳川家康は関東に入国すると直ちに家臣団を要地に配置したが、そのとき当町域に入部したのは、多古一万石の保科正光であった。そのほかに井戸山以北を矢作藩の鳥居元忠が支配しており、旗本では翌年七月から神保氏張(うじはる)が桧木・高津原を知行している。鳥居氏と神保氏については地域史編で取り上げるので、この節では寛永十二年(一六三五)に多古に入部した松平勝義より以前に多古町域を支配した大名について述べることにする。ただし、保科氏以後に多古を支配した土方(ひじかた)氏らはここを本領としたものではないので略述するにとどめた。