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第三節 久松松平氏と多古藩

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 寛永十一年、佐倉藩主石川忠総が近江国膳所(ぜぜ)(大津市)に転じた後、寛永十二年(一六三五)十一月、多古に入部したのは、駿府城代であった旗本松平勝義であった。これより多古は明治四年(一八七一)の廃藩置県まで二三六年の長期にわたって松平氏の采地であった。その間、正徳三年(一七一三)松平勝以(ゆき)のとき加増があって一万二千石の大名に列し、多古藩となったので、この時から多古は旗本知行地から藩領となっている。