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愛宕山地蔵院 由緒・縁起

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愛宕山地蔵院

 字台一一七番地にある。創建の年、開山の和尚名は不明であるが、天保八年(一八三七)の古文書には、
 
  天保八年酉三月日
  地蔵院什物扣帳
                        快道代
  下総国匝瑳郡南条庄虫生村広済寺門院
 同国香取郡千田庄西古内村地蔵院
 一、境内五畝歩除地ニ御座候
 一、神社五所大権現宮
 一、墓所字塚原、字堂前弐ケ処
  右支配に御座候
 一、郷領無御座候
 一、御朱印無御座候
 一、宿、番所等無御座候
 市谷念仏坂、三宅与五郎知行所、入相ニ者無御座候
 一、田方合テ高壱石壱斗三升弐合
 一、畑方合テ高七斗六升四勺五才
 此高合テ壱石八斗八升弐合四勺五才
 右之通リ相違無御座候 以上
         西古内村地蔵院
 一、大日如来     壱躰
 一、地蔵菩薩     壱躰
 一、不動尊      壱躰
 一、弘法大師     弐躰
 一、仏具       壱通り
 (什器の項省略)
  右之通り相違無御座候依而役印仕為念如此御座候 以上
                                          地蔵院   印
                                       名主 本蔵    印
                                       同  次郎右衛門 印
                                       組頭 新左衛門  印
                                       同  作右衛門  印
 
 このように記され、さらに明治十四年の寺院明細帳によると、
 
    祖本山匝瑳郡虫生村広済寺末
             真言宗 地蔵院
 一、本尊阿弥陀如来
 一、由緒不詳
 一、堂宇間数 間口七間三尺、奥行五間三尺
 一、境内仏堂 間口二間、奥行二間
 一、庫裏 間口四間、奥行五間
 一、檀徒人員 二百八人
 一、境内坪数 五百廿坪
 一、境内仏堂 壱宇
  地蔵堂 地蔵尊
  由緒 不詳 建物間口二間 奥行二間
 一、五所大神祭典免 反別壱反二畝
 一、地蔵院免    反別九畝二歩
 
 宗旨は真言宗智山派である。
 内陣には、真言の本地仏である大日如来の尊像が安置されているが、この尊像は、享保二年丁酉(一七一七)十二月八日に造られたもので、その鋳造費用は、十三両二分二朱であったということが「村記録」に記されている。
 また、真言行者を守護する不動明王が安置され、その左右には真言宗の宗祖弘法大師、新義真言の始祖興教大師像が置かれている。そして、
 
   権大僧都御免許之事
   今披露之処不可
   有相違之旨
   嵯峨御所御気色之
   所候也者執達如件
   安政三年(一八五六)三月十五日[花押]奉之
    権大僧都覚玄御房
   法印御免許之事
   今披露之処不可
   有相違之旨
   嵯峨御所御気色之
   所候也者執達如件
   安政三年(一八五六)三月十五日[花押]奉之法印覚玄御房
 
 このように、寺運隆盛のようすを伝える古文書が残っている。