境内には、歴代住職の墓碑その他の石碑が多数あり、主なものとしては、山門の傍に「地蔵十輪院写第十三地蔵院 明龢己巳稔(一八〇九)八月吉祥日 願主高橋氏琢量沙弥」、とあり、さらに和歌と思われる刻字があるものの、判読不能であった。
別の石には「享和三癸亥年(一八〇三)閏正月吉日 奉待二十三夜供養塔講中」とある。これは俗に、お三夜と呼ばれる阿弥陀三尊信仰碑である。
「南無大師遍照金剛 天保十五年(一八四四)三月吉日 西国坂東奉拝礼秩父百番成就供養塔 香取新兵衛 二十一夜講中 七郎兵衛 平右衛門 勘之烝 衛門 長衛門 久兵衛 儀兵衛 五郎右衛門 武衛門 三左衛門 長兵衛 作右衛門 惣治右衛門 次郎右衛門 新右衛門 第五番地蔵院」。この刻字に加えて、「六道ののうげの地蔵大ぼさつ みちびきたまえこのよのちの世」という詠歌の刻まれた碑は霊地順拝の記念碑である。
本堂前には、地蔵菩薩が六道済度のため六つの分身になられたといわれるように、檀陀・宝珠・宝印・持地・除盖障・日光の六地蔵があり、そのうちの一地蔵に「宝暦四甲戌天(一七五四)十二月吉日」の刻銘が見られる。
さらに、明治二十二年十月、七回忌に当って建てられたという高橋先生(源之烝、村塾の師匠天保九年~明治二十二年)の碑や、昭和七年九月に建てられたもので、篆額徳川家達公(徳川家十六代)、興新小学校長宮澤常次郎撰文、菅澤重雄(貴族院議員)謹書になる香取松太郎(初代興新小学校々長)の碑などがある。
歴代住職については、僧名や在住年代など不明である。位牌は「元禄五壬申年(一六九二)九月六日入寂法印宥栄不二位」とあるものが最古で、数基の卵塔群は往時の繁栄をうかがわせるものである。