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天御中主命神社

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 字城一二〇番地にある。栗山川流域の水田を見おろす丘陵部の先端にあって、椎の古木に囲まれている。この地がかつての城跡らしき唯一の地でもある。

天御中主命神社

 明治十二年の『神社台帳』には
 
一、祭神天御中主命
一、由緒古老伝説御所台ノ儀ハ古昔千葉氏ノ古城蹟ノ由、当時御所様ト称ス、御所様在城ノ砌リ北辰妙見ヲ尊崇シ一社ヲ建立シ鎮護神トス、爾来相承テ祭祀今ニ至リ申候、維新以後妙見ノ称号御廃止ニ付、天御中主命ヲ祭リ申候、是レハ北辰天ノ中枢ノ義ニ取リ相改申候、右御所様ノ姓名往古ノ事ニテ判然相分リ不申候ヘトモ、村内字ニ、曰御所内、曰御廟、曰馬場、曰大屋敷、曰堀合、カラ堀跡等ノ名残リ居リ候間、古城蹟タル事ハ明確ニ有之候
一、社殿竪四尺横四尺
一、社殿雨覆竪二間半横二間半
一、拝殿竪三間半横二間
一、境内反別六畝一五歩
一、氏子戸数一九戸
 
と、この説明にも見られるように、千葉氏が居城の守護神として北辰妙見を祀ったのが始まりであるという。
 北辰妙見は北極星を神格化したもので、千葉一族は守護神として深くこれを信仰し、千葉市の妙見社はその代表的なものである。そして一族の家紋である月星・七耀・九耀などは北極星に由来していることはいうまでもない。
 境内には幾つかの小宮、石碑があり、拝殿右側にある子安大明神には「文政五壬午(一八二二)正月吉日並木氏講中世話人里ゑ」とある。子安講の祭祠であろう。
 子安講は古くからある信仰組織で、「延享三年寅(一七四六)正月十七日東禅寺」と書かれた子安奉社帳も残っている。安産と子の成長を祈願する神である。
 参道の中ほどには、丈余の石塔があり、青面金剛像と三猿が刻まれ、「奉造立庚申待 念願成就所 寺作村土橋山東禅寺開眼導師法印郭圓 享保十三甲天(一七二八)正月吉祥日 御所台村施主並木氏七人」とあるが、庚申講の本尊である。
 また、拝殿のかたわらに横たわる石燈籠の断片には、「宝永五戊子(一七〇八)施主並木氏平次郎 立石燈籠念願成就之処三月廿三日別当東禅寺」とある。
 参道登り口には石造手洗いがあり、これには「下総国香取郡御所台村願主並木善右衛門 同姓長右衛門 同姓七郎右衛門 同姓伝右衛門 同姓善之烝 同姓市郎兵衛 同姓善兵衛 菅澤与左衛門 同姓平重郎 同姓七左衛門 戸井長左衛門 同姓次郎左衛門 同姓長兵衛 同姓清右衛門 高萩惣兵衛 同姓新兵衛 同姓新左衛門 同姓藤兵衛 渡辺平右衛門 同姓平兵衛 延享五年戊辰(一七四八)六月一五日屋形村海保伝右衛門」とある。