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法華堂

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 字道祖神一七七番地にあり、明治十四年久賀村戸長役場の『神社寺院明細帳』に、「一、本尊多宝如来、一、由緒未詳、多古妙光寺受持、一、境内坪数四八坪、一、信徒二十人」と記されている日蓮宗の御堂で、佐原県道沿いに石塔群に囲まれている。
 内陣には厨子が六つほど並んでいるが、中心的なものは祖師日蓮上人像で、その扉に「奥州仙台住人本願立妙唱尼元治元甲子歳(一八六四)八月吉辰日」と墨書されている。
 当集落の総戸数二八戸のうち二〇戸が日蓮宗であるが、この扉に記されている妙唱尼とは、当時この堂に奉仕していた尼僧のことでもあろうか。
 ついで、多宝如来と思われる厨子が三つあって、一つの扉には「元治元甲子(一八六四)宝前向再興八月日台作構中」と記されている。
 子供を抱いた尊像、鬼子母神像もある。正しくは訶利帝母といい、子安講の本地仏である。
 あとの一尊は武人像で、厨子の扉には「北総香取郡久賀村之内御所台高萩新左衛門六十九齢心願ニ付 明治十九年歳仲秋清正公大仁儀御形自作奉納 同歳陽月廿三日講中御堂ニ移ス者也 塗工人多古邑飯田久吉 開眼主日勝[花押]多古妙光寺四十一世」と書かれている。
 清正公の本社は熊本市新堀町に鎮座する加藤神社で、諸病平癒に霊験著しく、信者は全国に多い。