当集落には、小石祠がいくつかあるが、字道祖神一七九番地付近の佐原県道のかたわらに庚申塔があり、「青面金剛王 寛政十二庚申(一八〇〇)十二月吉日 願主並木氏講中」と刻まれている。それと並んで刻字の剥落した小宮があり、これが字名ともなっている道祖神である。
また、字城一六五番地付近の道路のかたわらに子育延命地蔵がある。その尊容と御利益で広く信者を集めたといわれ、由来については、昭和十年に二百年遠忌を行ったときに書かれた次の『子育延命地蔵尊縁記』によって、その一端を知ることができる。
当村御所台に鎮座在す地蔵菩薩は、御丈約六尺大なることに於て近隣無比なるのみならず、大慈大悲の御顔容は、拝する者をして覚えず襟を正すの感あらしめます。いづれは名ある工匠の苦心に成るものでせうが、如何せん避地に在して広く世に知られざる憾がありました。しかしながら古来幾多の霊験は枚挙に遑なく、特に左の二つは、その代表的なものとして確かな記録にも残って居ります。
其一。今を距る二百年、当時の並木善左衛門家は有名な旧家ではあり、何不足とてありませんでしたが、只一つの不幸は子供が幾人生れても育たぬことでした。思案に暮れた末、ふと思ひついてこの菩薩像を建立し、朝夕の礼拝を怠らなかったところ霊験忽ち現はれて、その後は再び以前の悲嘆を見ることなく、生れた子は皆健やかに成長して、家運愈々栄えたといふこと。
其二。同じく氏子中の某家主人は若くして大患に羅り、再三の咳血で命旦夕に迫る有様でしたが、一家に取って誠にかけ代えのない人故、家族の者から六十五歳までの延命を祈願し奉ったところ、これまた見事な御利益で、一命を取止めたばかりでなく、不思議にも丁度六十五歳の七月二十一日迄生き永らへたといふこと。
爾来、延命子育地蔵として各方面から熱心な信者を集めて今日に至ったのですが、今回我々氏子一同相謀って、石段の新設を始め御身辺の面目を一新し奉った上、来る旧九月十三日を期して二百年遠忌法要を執行することと致しました。(後略)
昭和十年九月
発起人 並木健太郎 並木菊二郎
並木長太郎 並木鶴之助
並木善雄 並木芳蔵