境内には幾つかの石塔があり、入口石段の右手にある一・五メートルほどのものには「都率内院第四十九 擬常行律儀院土橋山東禅寺 阿り明けに隈なき月のてらざくや弥陀のじやうどへわたすつちはし 宝暦六年丙子(一七五六)三月吉日 願主法印浄性」とあり、堂の前庭には住職の墓石と思われる卵塔が五基ほどあって、享保(一七一六~三五)、元文(一七三六~四〇)、宝暦(一七五一~六三)、明和(一七六四~七一)の年号が見られる。
並んで如意輪観音像を刻んだ板碑があって「奉敬礼十九夜月天子念願成就之攸講中同志 御所台寺作村 供養導師東禅寺二十二世法印宥乗 維時寛保三癸亥紀(一七四三)三月大吉日欽書」とある。この菩薩は古い信仰の歴史を持つ六観音の一つで、講中の人達によって建られたものであろう。
小道をはさんで六角地蔵があり、「正徳二壬辰天(一七一二)十二月二十四日 施主九ケ村惣旦那中 奉造立六地蔵菩薩念願成就処 下総国香取郡寺作村土橋山東禅寺願主法印 慶」と刻まれている。
このほか、原形不明の石塔の一部分に「康正元年(一四五五)」とのみの刻字が見られるが、これは千葉氏十六代胤直が自刃した年である。
また、鐘楼の礎石と伝えられる石などもある。