庚申塔 字山の下二三〇番地付近にある一基は「寛政十二庚申(一八〇〇)正月吉日 願主講」とだけ読み取れるが、かつてこの地は、伯楽場ともいわれる馬の爪切場であったと聞く。その場合、多くは馬頭観世音が祀られているが、ここでは庚申塔である。
もう一基は字ノバク一六一番地付近の畑の中にあって「享保八癸卯(一七二三)十月吉日 願主寺作村中 奉拝念庚申待諸願成就攸」とある。
道祖神 道陸(ろく)神ともいい、村に災いの入るのを防ぎ、また旅人の守り神とされていたことから、多くは村の出入口や街道端に建てられているが、時には中心部に祀られて、縁結び・安産・子育ての神として信仰されることもある。
字山の下二三三番地の道端に刻字のないものがあり、字寺山一一二の二の一の二番地付近の道端にある一基には「道祖神 天保四巳年(一八三三)二月吉日 願主古内村香取新兵衛」とある。
この道祖神は別名「北向道陸神」と呼ばれ、痣・ソバカスに霊験が著しいと伝えられている。祭事はいまも飯田清兵衛家によって行われていて、毎年十月十七日の神事の日には、竹筒に入れた甘酒が奉納されている。
大王子様 寺作村と御所台村は大きな一つの台地によってつながっていて、その背梁部をほぼ東西に旧多古佐原街道が通り、これが村境となっている。南側が御所台、北側が寺作であるが、東端の霜月橋に近い所で街道は坂になっていて、村人はこの坂を「八王子坂」と呼んでいる。坂の途中字山の下二四三番地の一付近に一祠が祀られているが、「下総国香取郡千田庄寺作村 于時元禄十年丁丑(一六九七)二月大吉日」とあり、神名は刻まれていない。
飯田清兵衛家文書の中に、貞享元年(一六八四)に両村が境界のことで争ったとき、幕府が裁定を下した絵図面があるが、これによると、この場所に街道をはさんで寺作村に大王子、御所台村に八王子が祀られていることがわかる。これらのことから神名を大王子と推測するわけであるが、勧請のいわれなどは不明である。
御廟の塚 鎌倉時代の城廓内とも思われる所で、今は語り伝えもない。畑中の平地に板碑ようの一片の石と、供養塔の上部かと思われる石が二個ほど並んでいて、ただ、さわりがあるとだけ伝えられている。