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神域の小社・石碑

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 境内に祠られている小社をたずねてみると、本殿左側にある稲荷宮には「天保九戊戌(一八三八)四月吉日 願主惣村中 賀瀬市左衛門」と刻まれている。
 イナリは稲生の略であるともいわれる農耕神で、宇迦之御魂神を主神とする信仰である。坂東三稲荷の一つといわれる松崎神社が近くにあるが、ここから分祠されたものかもしれない。
 鳥居の左側に子安様が見られる。周囲を石垣で囲まれた立派なもので、神名は刻まれてないが子安様だといわれている。「明治廿八年八月吉日 村中安全 女人中」と刻まれている。
 村では、子供が生まれて七十五日目に赤飯と紙の幟をここに供えることになっていて、その供え物がなされない限り、母親はすべての神に参拝することができない習わしになっている。
 子安社の隣が古峯の社である。祭神は日本武尊で火防五穀豊穣の神として知られている。
 参道向い側の手洗いには「奉献、昭和十五年五月吉日氏子一同 発願人渡邊大助 加瀬倉蔵」とある。
 また、水神宮が、もと字水神場地内にあったといわれ、現在は跡かたもないが、日枝大神への合祠を望んだ次の文書がある。
 
     神社合併願書上之扣(控)
                            第五大区小七区香取郡井戸山村
一、水神宮 祭神年月建立不詳
 境内  反別六畝廿歩
 本社  梁間四尺桁間八尺萱屋根
 拝殿  無御座候
 鳥居  同断
 手洗鉢 同断
 附属品 同断
一、鎮守日枝大神江合併仕度候
 右神社之儀ハ追々破損、修復ハ勿論祭典等茂不行届候間、今般氏子一同併受持神官等相談ノ上合社仕度候間、願ノ通御聞届ケ被下成候様奉願上候
                                   右村氏子惣代加瀬治右衛門
                                         平山真右衛門
                                     副戸長 加瀬久右衛門
                                     戸長  加瀬良助
     明治八年二月十二日
    新治県権令 中山信安殿