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路傍の小祠・石宮など

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 道祖神 一メートル余の板碑で「道祖神」と大きく刻まれ、周りに二、三基の小石宮がある。所在地番は字道祖神三四〇の一である。
 この道祖神には、「花日堂」と称する古くから伝わる祭事がある。それは女の子たちの行事で、七夕祭りのように笹の葉に願いごとを書いた紙を下げ、「花日堂のカンジン米カンジン、米でも銭(かね)でもおくんなさい」と唱えながら、家々を回って喜捨を受け、念仏箱と称する箱の中に土で作った人形を入れ、それを道祖神に埋めて花を添える。つまりは、家内安全、無病息災を祈願するものであるが、御釈迦様の葬式になぞらえて伝わって来た行事であるという。
 毎年四月七日に行われていたが、現在は春休みの一日をこれにあてている。
 道しるべ 巡礼西国三十三カ所供養碑で、前記の道祖神と道路を隔てた北側にあり、字観行台二九五に位置している。地上高五五センチの石塔で、「明治十二卯三月吉日」とある。
 その四面には、それぞれ次のように刻まれている。「東 此方方田 次浦 松崎 奉順礼西国三拾三所供〓(養)」「此方五丁程行 西ハ飯笹 佐倉 東京」「南ハ 多古 芝山道」「北 此方桧木 出沼 さわ 佐原道」
 道しるべのもう一つは西国参拝記念碑で、字内ノ山二〇二の五にある。昭和二年十月建立のもので、次の文字が刻まれている。「西 西国参拝記念」「南 多古 中村 八日市場道」「北 大須賀 佐原道」「東 大門 山倉 小見川道」高さは、一・五メートル弱のものである。
 道しるべの三つめは身延参詣記念碑で県道の東側を通る旧成田街道分岐点にあり、その地番は字牛塚一九九の一である。七〇センチほどの角柱塔で、周囲は畑地になっている。表面に「南無妙法蓮華経」の題目が刻まれ、側面には、次のように記されている。「南 多古 中村 飯高 下総香取郡大門村 身延参詣同行中建造」「北 左原 小見川 銚子 弘化二乙巳年(一八四五)七月日」そして、発起人一〇名の氏名が見える。
 馬頭観世音 字大千田五六一にあるこの碑は、三~四〇センチほどの高さがあり、現在はゴルフ場地籍となっているが、もと斃馬捨場(そますてば)にあったのを移したものであるといわれている。碑面には、浮き彫りにされた神像と、「奉建立尊像 寛政二庚戌(一七九〇)十月日」の刻字が見られる。
 前記した花日堂の行事がある道祖神と同じ場所に二基あり、両碑とも三〇センチほどのもので、それぞれ「馬頭観世音 菅澤良太郎 同寅松 明治三十八年七月吉日」「馬頭観音 大門村五木田三郎右衛門」と刻まれている。
 庚申塔 新道の拡幅に当って、旧道との分岐点に数メートル移転したという。六〇センチほどの石塔で、浮き彫りの青面金剛像があり、「寛政五丑(一七九三)五月廿八日 願主治左衛門 仲間中」の文字が刻まれている。現在でも小島家で祭祀・管理している。所在地番は、字椎ノ木五九一で、山林斜面にある。
 なお、同番地山頂に三峯・伊勢・古峯三神の小石宮があり、三峯宮には「村中安全 明治三拾八年一月吉日」とあって、台石に発起人三一人の名が刻まれている。村内に火災があったことから、後に勧請したものであると伝えられている。伊勢宮には刻字がなく、古峯宮には「村中安全 明治三十一年七月日」の刻字があり、その台石に、二九人の判読できる氏名が見られるが、その他は欠落して不明である。
 この三石宮は、いずれも三〇センチほどのものである。
 いま一つの庚申塔は大門西公会堂の前を、県道佐原線が通っているが、その県道をはさんだ東側、すなわち、大高入会字前野二の三二番に建てられている。
 六〇センチほどの角柱型のものであるが、「庚申塚」と刻まれた文字は、他に例をみないほど太く、また深い彫りである。側面に「右 多古 中村 飯高 檀林道」「左 大門 古内 松崎 山倉道」とあり、裏面に「安政二卯年(一八五五)二月建立 平山文左衛門」と記されている。
 不動尊石像 字内野四七五の一が所在地であるが、台地上で、真言宗檀家の墓地のほぼ中心に位置している。台石上に立つ不動尊像は、一メートルの高さである。
 その台石には、「奉造栄不動尊 一体一句一偈勒修 善男善女等教勧 俊弁謹言 享保十乙巳天(一七二五)七月吉祥 日下総国香取郡九ケ村内大門邑」と刻字され、明らかに、俊弁木食上人ゆかりの不動尊像であることがわかる。