出沼村の北側台地一帯にまたがる矢作牧の開拓は明治新政府によって行われ、十余三地区に最初の鍬下ろしが行われたのが明治四年のことである。その後の農民の執拗な払い下げ要請と新政府の財政事情等のことから出沼(五十塚開墾)、大門・高津原(前野開墾)、井戸山(長作開墾)と逐次開拓許可がなされている。
それまでは、矢作牧用地または幕府の御鷹場であるがゆえに牧野付村々の農民は共同の秣刈場としての採草権しか与えられていなかった。しかし畑作物の生産が進むにつれて、村人は用地内をひそかに開拓し、役人もまたこれを見て見ぬふりをしたということも多かったようである。
そして明治政府の牧開墾の方針が発令されると、村々の農民はこぞって開拓許可を願い出ている。
出沼字平山の六町七反が払い下げられたのは、次の記録に見られるとおり明治二十六年である。村人はこの解放に歓喜し、村をあげて祝宴を張り、当時禁制であった手造りの花火を打ち上げて喜び合ったということである。
香取郡久賀村
佐藤常蔵
外三十弐人
明治二十五年十二月二十日付願官有貸渡地開墾成功払下ノ件聞届候条左ノ通心得ヘシ
明治廿六年九月廿七日
千葉県知事 兵頭正懿 知事印
一、地代金七拾円納入ハ来ル十月廿三日限り但納入方ハ別ニ告知ス
一、地所ハ代金納入済民有地第一種ニ編入ス
このように、払い下げられた官有地について村民たちは、次の書面に見られる三人を代理人として一切の権限を委任し、署名した。
委任状
一、拙者共儀事故有之下総国香取郡久賀邨旧出沼佐藤常蔵山倉弥兵衛多田要蔵山倉三郎左衛門山倉常蔵ヲ以テ部理代人ト相定左ノ権限代理為致候事
一、下総国香取郡久賀邨旧出沼六百六十五番ノ一同番ノ二六百六十六番ノ一同番ノ二字平山開墾五町八反三畝拾歩払下願一切処弁ナス事
右代理委任状仍而如件
香取郡久賀邨出沼
山倉忠右衛門 穴澤縫右衛門 鈴木由太郎 鈴木敬助 鈴木寅松 穴澤喜代松 穴澤桂治郎 佐藤嘉左衛門
鈴木伊之助 佐藤治助 山倉幸太郎 日下都市右衛門 穴澤さた 山倉宇右衛門 佐藤嘉右衛門 山倉徳太郎
山倉豊吉 藤崎宗蔵 山倉源治 山倉卯之助 山倉太吉 冨澤米吉 岩渕由蔵 佐藤惣右衛門 高橋百太郎
多田平左衛門 三枝源四郎 多田喜助
村の運営については三人のうちの輪番名主がとりしきり、重要事項についてはすべて合議によって決定したようである。
次に掲載した区有文書の(一)は一二カ村名主の申合わせによって、農民の奢りを強く戒め、手間賃の協定を結んだものであるが、時代的な背景と当時の村人の多様な心情を伺ううえに興味のある資料である。
(二)は幕末の文久三年(一八六三)のもので、この年は対外的には米仏蘭の連合艦隊による下関砲撃事件があり、国内では尊皇攘夷を唱えての倒幕運動が各地に起こり、国論を二分して血なまぐさい紛争が絶えることなく、当地方にも激文の残っている真忠組事件(片貝騒動など)あい次いで政変、事件が発生している。こうした緊迫した状況のなか、旗本領内の村々の百姓は(三)に見られるようにして、否応なく一通の書状だけでどこかの国役に召し出されたものである。
(一)指上申請書之事
近年諸職人之賃銀並奉公人給金日雇手間取等之賃銭至而高直ニ罷成、賃銀取者之勝手計能雇候者甚及難儀ニ、就中奉公人其身分不相応之高給ヲ取其身ニ不似合奢ヲ致シ、第一主従之無差別不埓ニ相勤候故、畢竟務兼欠落致歟又者病気ニ而暇を貰候節親類組合難儀仕、且者村役人迷惑ニ罷成候者間々有之候、向後隣家ヨリ召抱候共請人引請証文ヲ以身分相応之給金ニ而相抱可申候、尤此度組郷拾弐ケ村吟味相談之上作料手間賃給金之儀、古来近来を積リ合相定候上者決而余慶之賃出シ雇候者後日成共露顕致候ハハ、其者方江拾弐ケ村寄集リ其過怠申掛尤余慶之賃取り、候者同断候、万一時之取計方悪ク公訴出入等ニ及候ハハ、組郷拾弐ケ村高割ヲ以諸入用指出シ其村壱ケ村之難儀ニ不相成様、村々引替証文ヲ以御取リ極メ候趣一々被申聞小前一統承知納得仕候、然上者我々共組合切ニ吟味仕、諸職人賃銀奉公人給金日雇手間取等之賃銭左之通リ相定候、紙面ニ少茂無相違身分相応ニ諸職人賃銀給金手間賃ニ而相務可申候、猶又奉公人身分不相応之奢ヲ仕、主従之無差別不埓ニ相務候儀急度相慎、少シ茂猥ケ間敷儀仕間敷候、万々一相定之趣相背候者御座候ハハ、御相談之通リ御取計可被下候、及其節違乱申間敷候、為後証小前一同連印之請書差上候、仍而如件
年号月日
諸色直段定
一、金弐両弐分 上男之給金
百文 五月秋之手間賃
七拾弐文 春夏之手間賃
一、金壱両三分 上女之給金
七拾弐文 五月之秋手間賃
四拾文 春夏之手間賃
一、十日壱分 家根屋作料
一、十二日壱分 大工木挽桶屋
一、拾六文 下リ綿 綿打賃
拾四文 地綿
一、百四拾四文 壱箱代
但し壱箱拾挺積リ
一、真木割 五本 七九積リ
一、四拾文 駄賃付壱里之代
但し荷ニ可寄
右之通り請書差上候上者、染屋鍛冶屋其外諸色右ニ順し下直ニ可仕候、勿論他所ゟ(より)入来候共此趣急度相心得させ可申候 以上
小前一統連 印
五人組
半頭
当村
御役人中
(二)
以書状申達候、然者此度英国軍艦数艘渡来ニ付、御公儀より御書付も出、江戸表甚ダ騒ケ敷、老人並女子子供等者知行所並近郷有縁之者方へ立退可然旨被仰出、夫々非常之手当テ何方ニ而も無油断致候事ニ候、右ニ付其村方より為夫役丈夫之百姓弐人村役人差添早速出府可致候、遅滞致し候而者御間ニ欠ケ差支相成候間無延着罷出可被申候此段申達候様被仰付候条可被得其意候 以上
伏見忠四郎内
亥三月十七日 坂口要八 印
石川吉兵衛 印
下総国香取郡
出沼村
名主 久右衛門殿
組頭 源之亟殿
猶々出府往返之入用並御手当之儀者出府之上御沙汰可及候 以上
(三)
以書状申達候然者此度左之者共
組頭 源之亟
百姓代 市右衛門
百姓 長右衛門
茂左衛門
甚之亟
縫右衛門
長兵衛
治左衛門
平左衛門
右之者共呼出候間村方留守中取締方萬事心附可申候 此段被仰付候条可得其意候 以上
伏見忠四郎内
辰三月七日 浅井治兵衛 印
石川兵輔 印
石川平兵衛 印
下総国香取郡出沼村
名主 久右衛門父江