鳥居前の街道を三〇メートルほど村へ近づいた左側に、木立に囲まれて二基の石宮が並んでいる。神名はないが、村人は一番最初に側高神社が祀られた所なので、古社と呼ぶといい、また本殿造営のときに、御神体を一時安置したところであることから「越社(こっしゃ)」ともいっている。
しかしこの社の祭礼(御奉社)は、村の宗家である五軒党だけで行うもので、由緒のあることと思われるが、その縁起をいま知る人はいない。大きい石宮には「明和五戊子天(一七六八)三月吉日」、小さい石宮には「文化十酉(一八一三)九月吉日施主平兵衛」と刻字されている。