千葉一族の流れを汲む村草創の家で、氏族の宗祖といわれ「五軒党」と称する五軒の家があり、各家ごとに持仏堂と泉の井戸を持っている。それぞれの屋敷は、伝えられる由緒にふさわしいたたずまいである。
以前は、五人の当主だけで陰暦十一月十四日に、側高神社で神事を行う習わしであったが、昭和四年から改められて、一月十五日の御奉謝神事と合同でなされるようになった。
五軒の家々は、千葉一族がその支配権を失った後もかつての支配者との関わりにおいて、引き続いて指導者としての立場を守り続けて来たものであろう。
次に、それぞれの家々に祀られる仏堂のことについてふれてみよう。