堂は字薬師二二〇番地にあり薬師堂である。佐原県道から村に入ると道は二つに別れるが、一方の中程で曲る急坂をお薬師の坂と呼んでいる。右手に椎の老木が繁り、そのさきに杉林に囲まれた一角がある。苔むした石塔群がかたわらにあり、ほの暗い木陰に建つ小堂は、長い時の流れを見続けて来たであろうものさびた姿で立っている。
内陣には薬師如来と、その眷族としての十二神将、および脇侍であるところの日光菩薩・月光菩薩像が安置されている。
文明年間に、三倉城主であった木内三郎元胤が菩提寺として建立し、元胤寺と号したと伝えられていることは前掲したとおりである。
現在も毎月八日の縁日には一族が集まり、般若心経を唱えて祖先の菩提を弔っている。明治から大正時代にかけて繁栄し、毎月七日のおこもりには、近村からの参詣者に対して門前には出店も並び、「まゝよ三倉のお薬師こもり 月に三度もあればよい…」と歌われた時代もあった。