香取神刀流道場
鎌形巳之助が明治三十年に自宅の隣に建てて、青年の指導につとめ、「香取神刀流支部指南所」と称して三十有余人の門弟があったといわれている。
この流儀は、千葉支族で飯笹村に生まれた飯篠家直(後の長威斎)が、室町時代(一四〇〇)に、香取神宮境内の梅木山不断所において極意を究めた古代剣法である。
鎌形氏は武道のほかに、子供の虫封じ、火傷の痛み止めなどの術を心得ており、村人に広く報施したと伝えられている。現在もこのことに関する書物や「天真正伝香取神刀流三略表裏之巻」、「天真正伝香取神刀流兵法の巻」などの秘巻が残されていて、現当主の御好意によって披見を許されたが、巻末に「右者当流年来之兵法不残依而伝授候 雖然親子兄弟同門ナリト誰モ可秘者也」と記されていることから、その趣意に添って、ここにその内容を掲載することは遠慮した。
家伝薬など
富澤吉郎兵衛家には、今では知る人も少なくなったが、原料製法を秘伝として代々承け継いで来た妙薬があった。
効能は広く宣伝され、村外の者にまで求められたといわれる。それはトゲと安産の漢方薬で、これを用いれば刺してから数カ月を経たトゲでも、痛むことなく自然に体外に出たということである。