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神域の小祠・小宮

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 また境内には次のような小祠が祀られている。
 古峯社は明治二十五年十月一日に造られたもので「谷三倉講中 発願主高木庄助」とある。
 この本社は栃木県鹿沼市古峯ケ原に鎮座し、祭神は日本武尊で、火防海上安全大漁五穀豊穣の神であり、かつては日光全山三十六院八十坊の僧侶達の修業場であった。
 金毘羅大権現には「文化十一年甲戌(一八一四)十一月十日。三年三月月参講中 世話人新七源七」と刻まれている。
 現在は金刀比羅宮と称し、祭神の金毘羅は、インドの鰐を神格化したもので、竜王海神として雨乞いや海難祈願に応える神である。
 その傍らに、神名不刻の小祠で「寛政二年(一七九〇)九月吉日 施主新右衛門」「万延元年申(一八六〇)四月吉日 願主与右衛門」とのみ判読できる二基がある。
 また、「文化四卯(一八〇七)二月吉日 作三倉施主」と刻まれた石祠があり、これは通称「子(ね)の神」といわれているが、由緒、祭神ははっきりしない。古い習慣に「子(ね)待」または「子(ね)祭」という行事があり、十一月の最初の子の日、子の刻に二股大根と大豆を入れた玄米飯を供えるという大黒天にまつわる祭事であるが、このことに関わりのある石祠でもあろうか。
 拝殿の前には一対の御神燈があって、「在東京府下池袋当区多田清左衛門 生願主多田子之助 昭和三年八月吉日建之石工南米峰刻」とあり、鳥居のかたわらの手洗いには「明治二十九年三月奉納 願主高木庄助 高橋辰五郎 多田熊治郎」と刻まれ、右手木立の中には大正四年九月三十日に建てられた高木新輔拝書、香取松太郎題額の「敬神の碑」がある。