乗合馬車
いまは観光地などで、珍らしい乗り物として人気を集めているが、これが実用の交通機関として運営された時代がある。それは明治三十九年に栗源経由多古佐原間の県道が完成して間もない、大正八年頃であった。
それまで、佐原町へ行くには歩くか馬に乗る以外に方法がなかった。そこヘ一〇人ぐらいが一緒に乗れる馬車で、佐原まで行けるようになったのであるから、画期的事業として迎えられたことであろう。
朝、字舞台の産業組合事務所前を出発した馬車は、途中で乗客を拾いながら佐原駅へ向う。午後には、佐原駅から帰りの人々を乗せて谷三倉まで走る。一日一往復とはいいながら、人々にとっては隔世の感があったことと思われる。
昭和期に入ってからは、馬車が自動車に替って昭和五年頃まで運営されたといわれている。事業主は高津原の小川国蔵氏であったがその詳細は伝えられていない。