川島山妙蔵寺
当寺は、明治以前は神仏混交のため、前記星宮大神の別当として運営され、明治初頭には小学校や常磐村役場、隣接各村の登記役場となった時期もある。
明治の『寺院台帳』によると、
千葉県管下 下総国香取郡常磐村川島 字シタ
顕実寺末
日蓮宗 妙蔵寺
一、本尊 十界曼荼羅
一、由緒、開山ハ日乗ト云フ、寛正四年癸亥(一四六三)十一月六日ヲ以テ寂ス、年暦四百廿二年ナリ、由緒無之ニ付創立年月等不詳因ッテ村内古老ノ口碑ニ由レバ、当寺ノ山号ヲ川島山ト曰フ村名ト同称ス。故ニ古跡トスル乎、只開山ノ死去年月ノミ明也。
一、本堂間数 間口七間半 奥行四間半
一、鐘楼堂 方一間半
一、境内坪数 百七拾九坪
一、檀徒戸員 十壹戸(以下略)
このように記されている。
参道入口にある題目塔(高さ八五センチ)には、「南無妙法蓮華経 高祖五百五十遠忌 報恩謝徳 文政十二己丑年(一八二九)十月摩 吉日 当山廿一世日周(花押)」と刻まれ、院内墓地には当寺八世以降の墓石がある。
鐘楼に吊られた梵鐘は、太平洋戦争の際に供出したが、それには次のような刻字があった。「天下泰平 国家安穏 下総国香取郡川島村妙見尊天 寛政十一己未年(一七九九)三月吉日 願主那須東暁 統春 森定七 小島幸助 鈴木専蔵 鋳工東都神田住粉川市正 藤原国信作 施主江戸講中」