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路傍の小祠・石宮など

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 道祖神 地番は大字南玉造字川三十二番で、南玉造に属するが、現況は大字川島のほぼ中心である。近辺の人々は、新生児出生や七五三祝いのときに参拝し、かつては楠の大木に覆われていたところから「楠の道陸神」と呼んでいた。
 高さ六五センチほどのものと、小宮の二基があり、大きいものには「寛政七卯(一七九五)六月吉日」小さいものには「道祖神 天保九戊(一八三八)正月吉日 自我偈 千五百巻 卯之年」とそれぞれ刻まれている。
 城山稲荷 字袋二二七番にあり、口伝には戦国時代の城跡であったといわれ、「シロヤマ」とも呼んでいる。木造の上屋付きの小宮で、社前に小型(直径一一センチ)の鰐口が下げられている。台地の突端で眺望のよい所である。
 馬頭観音 旧小学校敷地の下方にあり、字出口二〇八番がその地である。榎の大木の下に二基の石塔が建てられている。往時の街道筋であろう。大型(高さ五八センチ)の一基には「馬頭観世音菩薩 文化八 年(一八一一)十月吉日」とあり、小型(高さ四六センチ)のものは「馬頭観世音 守志 三歳馬」と読める。
 稚児(ちご)様 字梨ノ木七十八番の一にある。水田に臨んだ丘の端で、耕地の谷津をへだてて城址といわれる城山に対している。
 伝説によると、シロヤマに城を築いた平山刑部少輔常時が愛児を亡くしたとき、その館からいつでも見られるようにと、現在の場所に葬ったところから「稚児様」と呼ばれるようになったという。
 木製の上屋がついた小祠で、その中に、高さ一〇センチほどで陶器づくりの、子供を抱いた女人像が安置されている。
 小学校記念碑 字芝原二四二番地の旧小学校跡地に建てられてあり、次のように刻まれている。「明治三十四年八月十三日 川島小学校 松崎小学校 常磐高等小学校三校合併シテ常磐尋常高等小学校トシテ開校 昭和三十四年十二月二十三日多古町南玉造二三四番地ニ移築廃校トナル 昭和五十年十月十六日 常磐小学校創立百周年記念事業実行委員会建立」
 現在この小学校跡は畑地となっている。