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八王子社

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 同じ 明治の『神社明細帳』には、次のように記されている。
 
   第十五大区五小区下総国香取郡東松崎村鎮座字舘造立
                                  松崎大神境外末社 王子社
一、本社 木造竪三尺五寸横六尺
  同雨覆木造竪二間横二間半 華表木造壱箇 手洗鉢壱箇
一、祭神 鵜草葺不合命 相殿無之
一、勧請 不詳
一、神位 無之
一、祭日 旧暦正月廿一日
一、社地 境内旧反別不分 現反別二十五坪
  (以下略)
 右之通取調候処相違無御座候 以上
   明治九年十一月
                                      右社祠掌松崎重幸
                                        用掛飯田善作
                                        同 林久左衛門
  千葉県令柴原和殿
(『神社明細帳』より)

 合祀されるまでは字舘下(たてした)二二三四番地にあった。また能満寺に、社殿についての棟札も残されているが、その年月は判読できなかった。
 縁起については、同地の石井家に伝えられる板札の裏面に、次のように書かれている。
 
        八王子権現来由
 伝聞此社地者本奥州之士御舘権太郎成清居宅之地也 呼麓於舘下此塚也 石井氏先祖某申安置一社以称舘権現 霊験日々新之 享保年中改尊称八王子大権現 威光倍々新遠近敬之 其苗孫再三修造之深信専敬 今記来由以備不朽可
   宝暦十二壬午龍集(一七六二)正月八日
    勝栄山二十世
      白牙院日覚
                                     信敬主石井武右衛門
                                       同人子息市三郎
                                       同人孫 市太郎
                                           受渡
 
 祭神については、天照大神が素戔鳴命と誓約されたときに生まれた三女神五男神の八王子神であるという説もあり、また牛頭天王が薩迦陁を妻として生まれた八王子を祀るともいわれているが、いずれも各地で産土神として祀られていることが多い。