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寺内の石塔・石造物

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 参道左側にあったといわれる鐘楼は「宝永四丁亥暦(一七〇七)廿四世日理代」とかすかに読み取れる棟札を残すだけである。なお、吊されていた梵鐘は太平洋戦争中に献納されたが、それには、次のように刻まれていたという。「正保第二乙酉暦(一六四五)仲冬十六日 信心新鐘之施主武州江戸之住人俗号星田久右衛門尉 法号理化院日是敬白 鐘工同処鈴木伝兵衛藤原次重 当談所第七之貫職通玄院日運謹書」
 内陣には、多宝塔を中にして右に多宝如来、左に釈迦如来、前立ちに祖師像が安置され、右袖には鬼子母神と水戸家位牌、左袖には三十番神と大黒様となっている。
 護摩壇に並ぶ鉦は二個あって、「明治二十七年十月吉辰日、下総国香取郡常磐村顕実寺三十七代順要購入」「大極上本唐用鉦 壱尺壱寸金星 嘉永五年壬子(一八五二)六月吉辰 下総国松崎法王山顕実寺什具三十五世日譿代」とそれぞれ刻まれている。
 境内には幾つかの石造物があるが、主なものは次のとおりである。
 下総板碑二基。高さ一メートルほどのものには左右に「延文六年辛丑(一三六一)正廿七日 右志者為西法一百ケ日世」とあり、一・二メートル余のものには「永享十年(一四三八)三月廿七日」の文字が見られる。