まず、明治の初めに書かれた『寺院明細帳』によると、
千葉県管下下総国香取郡東松崎村字戸ノ内
千葉県下安房国長狭郡小湊村誕生寺末
日蓮宗 能満寺
一、本尊 釈迦牟尼仏
一、由緒 当寺開山日運聖人コトハ安房国長狭郡小湊村平民正木左近太夫舎兄、同国同郡同村誕生寺住職日境聖人ノ徒弟ニシテ日運ト云フ、天文五丙申年(一五三六)四月当地方ニ来テ旧故妙正庵ト云フ有レ之ニ付、天文五丙申年八月九日一箇寺創立スト、只古老ノ口碑ヲ記載スルノミ 以上
一、堂宇間数 本堂縦七間半横五間半、庫裡縦九間横五間
一、境内坪数 千三百五坪持主能満寺
一、境内仏堂 無之 建物鐘楼門縦二間横二間
一、境内庵室 無之
一、境外所有地 耕地段別壱町壱畝四歩
山林段別三反三畝廿八歩
(以下欠落)
このように記され、さらに由緒については『過去帳』の一部に、次のように書かれている。
天正三年(一五七五)十一月当山開基勝栄院日運聖人、房州加茂日運寺ト当寺両寺一寺也 運トハ房州正木大膳太夫也、正木左近太夫ノ舎兄也、御知行所松平左門殿領分加茂日運寺ヨリ引キテ山ヲ開キシ寺号也、両山一寺ノ証文廿二世本山日明師御本尊ニ有之、同廿四世映師ノ御証文別ニ有之、並ニ永聖ノ証文有之宝凾ニ収ム(両寺一寺ハ十代心常院日行聖人迄続ク十一世要善院日円聖人当能満寺中興サル)
右に記した二資料を見るとき、その開創について「天文五年」と「天正三年」の両年が記されているが、古老の言い伝えと過去帳記載に約四十年の差がある。
内陣には本尊多宝塔釈迦如来、多宝如来経義、四菩薩、四天王、前立に祖師像が置かれ、右袖に祖師座像・最上稲荷、左袖に厨子入子育鬼子母神・脇士十羅刹・三十番神・馬頭観世音・天神が納められている。