境内には幾つかの石造物があって、山門わきの題目塔には「天正三年亥(一五七五)十一月九日」「天和四(一六八四)」「享保五(一七二〇)」の年号が刻まれている。
入口石段の下には、ひときわ大きな題目塔があって、「南無妙法蓮華経奉唱玄号三万部成就 正徳五乙未(一七一五)十月日 勝栄山能満寺十四世日端十五世日運 下総松崎村題目講中 本妙院円瑞日充丹唇院妙顔各菩提写先棟代々諸霊魂不 院蓮心日浄 本照院妙瑞日耀 善院妙持 寛政四壬子(一七九二) 二月 訶吉日当山二十三世日境代日喜誌記 石坂願主川島邑那須善兵衛」と刻まれている。
石段を昇りきった所に、鐘楼と山門を兼ねた楼門がある。下層部は六本の円柱で支えられ、上に二重扇垂木造りの、脚部よりはるかに大きな鐘常が乗せられている。このような造りの建物は、町内では他に見ることができない。
天保九年(一八三八)九月二十六世日温の時代に建てられたもので、棟梁は村内の及川平兵衛であると伝えられ、同家の墓石に、次のように刻まれている。「当山鐘楼門者 師龍牙院日温聖人之再建而 棟梁者父円珠院誠貞日敬也 依修復料嘉永四年三月金子拾両納之」
この楼門は上層部に梵鐘を吊り下げることによって均衡を保つといわれ、太平洋戦争中に梵鐘が献納された後には、およそ同重量の石が吊されている。その鐘銘は次のとおりであったという。
奉造立椎鐘一器勝栄山能満精舎常住
奉慎唱満一切経之惣要一千部成就所
奉自書写超八醍醐妙経十部成弁所
右白福所修志者慈父常徳院妙正日行
悲母清光院妙泉日相擬報恩謝徳者也
為妻女真如院晴月妙林日泉証右菩提
先祖一門法界有無二縁平等抜苦而已
干時宝永第三丙戌龍集六月吉祥日
施主下総国香取郡方田村住人
平山七郎右衛門命重
法名要性院妙正日光
同国同郡北條之庄松崎村勝栄山能満寺
十四世放光院日瑞敬白
江戸神田住粉川丹後守作
かつて境内裏手の泉水のほとりに一本の楓があり、幹の周囲は二・六四メートルほどで、地上高約一・六五メートルのところから枝が十数本に分かれ、その枝葉は地を覆うことおよそ九〇坪といわれて、秋の見事さは近隣に有名であった。
安房の地からここに移った記念樹であるといわれているが、明治に発刊された房総名木誌にはなぜか「能満寺の枝垂桜」として収録されている。しかし、惜しくも大正末期に枯れてしまった。