明治十二年の『神社明細帳』には、
下総国香取郡坂村字宮台
無格社日枝大神
一、祭神 大山咋命
一、由緒 永禄二己未年(一五五九)勧請ノ由古老ノ口碑ニ存ス
一、本社 四尺四面
一、拝殿 間口三間奥行弐間
一、境内坪数 百八十三坪
一、信徒人員 五十三人
このように記されているが、なお由緒について『鎮守日枝大神神徳由来記』の一部を抜粋して参考に供したい。
鎮守日枝大神起原記
抑々下総国香取郡北條庄東坂之村ニ鎮座奉祀シ給フ大神ノ起原ヲ按スルニ、祭神大山祗命ハ伊弉諾尊伊弉冉尊ノ御子ニ座シマシテ 山ヲ掌ラセ給フ尊キ御神ニシテ天津日嗣ノ外祖ノ父ニ当ラセ給フ神ナリ……(中略)
当社ハ火難除安産守護ノ御神トシテ 正親町天皇ノ御宇執政源義輝ノ時宮柱ヲ永禄弐年酉(一五五九)拾壱月創建シ 大山祗命ヲ奉祀シ 山王大権現又ハ御名ヲ子育山王大権現ト往古ヨリ唱ヒ奉リ、宝成山妙高寺ノ別当タリシ事多年ナリシガ、明治維新ト共ニ社号ヲ改メラレ日枝大神ト号ス。
然ルニ光陰ハ矢ノ如ク雨露風破害虫ノ為カ 社殿腐朽シタルヲ以テ慶応弐年(一八六六)改築造営セラル。時ニ我村内四拾五戸ヲ算ス。明治参拾弐年社殿茅葺ナリシヲ、時ノ区長ニ因テ氏子ノ寄附金ト参謀本部見渡測量ノ障碍木伐採ノ全額ヲ以ツテ銅瓦ニ葺替ヒ今日ニ至ル。
因ニ大祭ハ年々旧暦霜月拾四日早朝ニ村内不残参集 庭内ニ火ヲ焼キ若者ノ時ノ声ヲ揚ケハヤス、是即チ比咩命ノ産殿ニ火ヲ放チ数多国神ノ時ノ声ヲ揚ゲタル古礼ナリ(以下略)
昭和六年旧九月 鈴木金四郎書
この社の本宮は滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社で、もとは山城と近江の国境に聳える日枝山に座していたことから日枝神社ともいわれ、比叡山延暦寺が開かれてからは天台宗の守護神となって山王信仰が生まれ、各地に勧請されたという。
由来記に見える大祭の日は「鍋かけずの日」といわれ、どこの家でも朝食は作らずに、女達までがこぞって境内に集まるのである。境内には大きな焚火が燃えさかり、夜が明けると合図の太鼓が響いて、幟が立ち並ぶ参道には出店も出る。神前に参拝ののち、全員が当番の家で食事を共にし、その後は一日中時間に制約されることなくご馳走が並べられるわけである。
この費用は、すべて神田の収穫によって賄われていたが、農地改革によって神田制度がなくなり、それとともにこの祭事も消滅した。