下総国香取郡坂村字サク
同郡東松崎村顕実寺末
日蓮宗 妙高寺
一、本尊 十界曼荼羅
一、由緒 当寺往昔真言宗ノ寺跡ナリシカ 文明八年(一四七六)ノ頃日蓮宗ニ改宗シ 日頼ヲ以テ当時ノ開祖トス 文明十三年辛丑(一四八一)五月五日ヲ以テ寂ス 天保十年(一八三九)ノ頃ニ至リ 該寺火災ニ罹リ故ニ古書什器等焼失シ由緒ト称スベキモノナシ 依テ本寺ノ記録ヲ抜萃シ記スルノミ 創立年月等不詳
一、本堂 間口六間 奥行四間半
一、境内仏堂 壱宇
子安堂
本尊 吉祥天女
由緒 天女ハ世上ニ所謂鬼子母十羅刹女ナリ孫子成育ノ守護ヲナス事神ノ如クト称シ殊更ニ女人ノ帰依スル所ナリ 是ヲ以テ古来ヨリ子安堂ト唱ヒ造立在リ今ニ至ル迄保存致シ居リ候
建物 方二間
一、境内庵室 無之
一、境外所有地 反別壱反九畝拾四歩坂村土仏
山林反別 無之
宅地反別 無之
一、住職 右寺無住ニ付兼務同郡東松崎村顕実寺住職中川順要
一、檀徒人員九拾二人
一、県庁迄距離拾三里十四町四十間五尺
以上
右之通取調候処相違無之候也
明治十二年十一月廿四日
とあるが、当村最古の寺院との口伝もある。
宝成山妙高寺
また、『常磐村郷土誌』は「往古ハ真言宗ナリシト云フ、現存鰐口ニ梵字アリ、僧日頼ノ開基ニシテ山王権現ノ別当職タリ、九世日饒四仏釈迦尊ヲ安置ス、運慶ノ作ナリトイフ」このように記している。
九世日饒のとき、一時は不受不施派にも属したが、度重なる弾圧に堪えきれず転向した。明治に至るまで鎮守日枝大神の別当であったことは、右記のとおりである。なお、寺宝として安置されていたといわれている運慶作の釈迦尊は、現在は見当らない。
本堂内にある笊鐘に「下総国香取郡東坂村宝成山妙高寺廿四世嗣法詮秀代 願主惣檀方中現安後善 文化六己巳稔(一八〇九)十二月吉辰」とあり、境内入口の右側にある題目碑には「今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子 五百遠忌為報恩謝徳 二十二世日教 安永九庚子歳(一七八〇)二月日 惣村講中先祖菩提施主石橋氏」と刻まれている。
また、同所にある板碑の一枚に、文和三年(一三五四)の年号が見られることは前記のとおりであるが、これによっても、当寺由緒の一端がうかがい知れるといえよう。