日枝大神
村落の西側丘陵部の一角にあり、一本の大樅がその位置を遠くから示している。
拝殿わきから塀をくぐり本殿の前に立つと、まず、その彫刻の見事さに圧倒される。正面柱に刻まれた昇り下りの龍をはじめ、隙間なく彫り込まれた絵模様は、隅の桝組とともに、まれに見る傑作といえよう。建築の時代や作者名、その由緒などについては知ることができないが、社を取り巻く自然環境について明治九年の『官林書上帳』は当時の模様を次のように記している。
日枝大神境外段別並木数書上
第十五大区五小区下総国香取郡方田村字ブダ井官林
改正段別壱反四畝廿歩 但平岨
東民林 西民林
南大道 北民林
杉木百四十本
目通壱尺廻以上百四十本 長二間ヨリ三間三尺迄
松木拾三本
目通三尺以上四本 長四間より五間迄
目通四尺以上五本 長二間三尺より四間迄
壱丈壱尺廻以上四本
雑木六十七本
目通壱尺廻以上三十七本 長三尺より二間三尺迄
目通三尺廻以上三十本 長壱間より二間三尺迄
下草料無之候
運輸里程 林下より小見村川岸迄陸路二里廿七町 夫より東京迄川路四十五里
右の通り相違無御座候 以上
右村用掛 宇井庄兵衛
明治九年七月廿日
千葉県令柴原和殿
さらに明治四十五年政府に報告した文書の断片には、
祭神 大山咋命
由緒 弘治三丁巳年(一五五七)勧請と古老の口碑にあり
境内敷地 二三四坪
拝殿 二間に三間
神殿 一間に九尺
氏子戸数 三十戸
信徒 二十九人
神紋 三ツ巴
このように記されている。
隣村の坂村も鎮守が同神であり、勧請の年も、坂が永禄二年(一五五九)、方田が弘治三年(一五五七)と、ほぼ同じ頃の兄弟社で、そのゆえか、本殿は向い合っているという。
例祭は御備社が正月五日で、霜月初めの申(さる)の日に行われる「初申」の行事がある。これは山王様のお使いが猿であることからその日に行われるものである。