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神域の小宮など

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 境内には奉献物が多く見られるが、特に石燈籠は五基あり、奉納者の祈念するところが、それぞれに刻まれている。大部分が明治以降のもので、それ以前のものには文化四年(一八〇七)の刻字があるもの一基がある。
 唐獅子は、石造のものが拝殿の前に一対あって、右側に「皇紀二千六百年大東亜戦従軍記念平山雄男奉」、左側に「昭和十七年一月平山七平石工増田鏑城納」と刻まれている。
 本殿の扉の前に小さな石造の線香立のようなものが置かれているが、「奉献身延山同行 平山庄右衛門 越川十兵衛 平山市太郎 越川嘉吉」と刻まれていて、年号はない。
 また、石造りの手洗いが側社天満宮前と椎の古木の下に置かれている。
 入口石段の中ほどに御影石の大鳥居があるが、「御即位記念 大正四年十一月十日氏子中」の文字が刻まれている。
 拝殿右側に神名のない石宮が一基あり、その左手に樅の大木を背にして木造の堂宇がある。これは、菅公を祭神とする天満宮であるが、もとは字石畑の小さな森の中にあった。その森の中に、村落に面した方にだけ枝葉の茂らない一本の大杉があったが、これは大火災の時の火勢によって片方だけの枝が枯れたためであるという。この杉も、社が明治四十一年に鎮守に合祀されると同時に姿を消すことになるが、合祀の理由などについて区有文書は次のように記している。
 
     神社合祀並ニ境内跡地譲与許可願
香取郡常磐村大字方田百七拾弐番地
一 無格社 天満社
 境内官有地 台帳面積五畝拾弐歩
       実測面積五畝拾弐歩
       立木七本
 右神社香取郡常磐村大字方田三百七拾弐番地日枝大神ニ合祀シ 境内跡地並ニ立木譲与ノ義御許可被成下度合祀事実合祀后ノ神社明細書合祀神社財産並ニ境内跡地立木処分方法立木財産計算表及境内実測図面相添此段相願候也
                               合祀神社々掌 欠員
                               同氏子総代香取郡常磐村方田平山吉蔵
                                       同前   平山市太郎
                                       同前   平山金蔵
                                 被合祀神社々掌 欠員
   明治四十一年五月十日
  千葉県知事有吉忠一殿
 
一、社殿 間口四尺九寸奥行四尺四寸
一、境内坪数 七畝弐拾四歩 官有地第一種
一、神職欠員   (日枝大神及天満宮社氏子ハ同ナルヲ以テ合祀后モ増加セズ)
一、氏子戸数三十戸
一、官轄庁迄ノ距離十参里四町四拾四間
 
   合祀神社ノ財産境内跡地立木処分方法
一、合祀スベキ天満社ノ社殿ハ取リタヽミ被合祀座社ノ営繕材料トス、其他財産ハ挙テ之ヲ被合祀日枝大神社ヘ譲与シ基本財産トス
二、境内跡地ハ、譲与ヲ受タル上ハ之ヲ開墾シ是ヨリ生スル収入ハ被合祀神社ノ維持費ニ充ツ
三、立木ハ売却ノ上其代金ヲ被合祀神社維持費ニ充ツ
四、維持金ハ神社ノ名ヲ以テ土地ヲ購入シ、又ハ郵便局ヘ貯金トナシ殖ノ方法ヲ講ス
     合祀事由
一 香取郡常磐村大字方田天満社
 右合祀スベキ無格社天満社ハ、無財産ニシテ維持困難尊厳ヲ失スルノ恐レモ有之候ニ付、無格社日枝大神ヘ合祀ヲ出願候次第ニ御座候也