延命山法光寺
明治十二年の『寺院明細帳』には、当時の模様が次のように記されている。
千葉県管下下総国香取郡方田村
同郡東松崎村顕実寺末
日蓮宗 法光寺
一、本尊 十界曼荼羅
一、由緒 当寺開祖ヲ日乗ト曰フ、隣村川島妙蔵寺ト其祖ヲ同フス、然ト雖モ村内別ニ寺跡有ヲ見ザレハ則チ村民移住ノ後チ造立セシ者ナラン乎、抑モ往古真言宗ノ寺跡ナリシカ四百五十年前日蓮宗ニ改宗シ日乗ヲ以テ当時ノ開山トナス、由緒無之ニ付村内古老ノ言口ヲ以テ略記致シ候
一、本堂 縦六間 横四間三尺
一、庫裏 縦五間 横三間三尺
一、境内坪数 四百四拾三坪 民有地第二種
一、境内仏堂 壱宇
釈迦堂 縦一間 横一間
一、本尊釈迦仏
由緒 該堂ハ村内ノ中心ニ位置シ維新前八百万神ヲ勧請セシカ、其後チ御趣意ヲ以テ諸神ヲ浄地村社内ニ遷座シ奉リ、村民尚空堂ヲ毀ツ事ヲ不敢セ、乃チ釈迦ノ一躯ヲ安置シ今ニ釈迦堂ト唱ヒ、方今修繕ヲエ保存仕候
建物 無之
一、境内庵室 無之
一、境外所有地
耕地反別七反弐畝廿七歩 方田村ノ内地価金弐百六拾円五拾四銭六厘
山林反別 無之
宅地反別 無之
一、住職 法光寺住職加藤貞庁
一、檀徒人員 百七十八人
一、県庁迄距離 拾三里十六町
以上
右之通取調候処相違無之候也
明治十二年十一月廿四日
内陣には三宝諸尊・鬼子母神大善神・日朗菩薩・釈迦牟尼仏・釈迦湼槃像・妙見像の諸尊が安置され、寺宝として「病即消滅不老不死」と書かれた日蓮上人真筆。村雲御所様真筆。錦幔幕。「南無妙法蓮華経南無三十番神衛護 諸仏救世者於大神通 為悦衆生故現無量神力 文化十四丁丑年(一八一七)二月朔日」と記された三十番神曼荼羅がある。鰐口は直径が三〇センチほどで、「文久二戌(一八六二)安久山木下源兵衛」の文字が見られる。
過去帳には寛正四年(一四六三)以来の歴代住職名が記されているほか、文化九年(一八一二)の火災後、本堂・庫裏の再建に努力した檀家一同の様子が、克明に記録されている。