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由来・縁起

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 明治の社寺台帳『神社明細帳』は次のような記録を伝えている。
 
   千葉県管下下総国香取郡常磐村南玉造字大内台
                  熊野大神支社 椿 神社
一、祭神   猿田彦命
一、由緒  不詳
一、社殿間数 間口壱間三尺 奥行壱間
一、境内坪数 百七拾弐坪
一、氏子戸数 百七拾九戸
 欄外に「大正七年一月十八日、左記の通り鳥居新築許可。鳥居 石造高サ十二尺五寸、冠十八尺。大正七年三月右鳥居竣工届出」
 
とある。
 右の台帳には由緒不詳となっているが、『常磐村郷土誌』には野平賀右衛門家にその『略縁起』が伝えられているとして、その全文を次のように記している。
 
     椿大明神略縁起
 下総国香取郡知田庄玉造街(ママ)大内台椿大明神ト申奉ルハ、昔住明暦三年(一六五七)七月中七日此地ニ降臨マシマシケル御神ナリ、其由来ヲ尋ネ奉ルニ、其比コノ邑ニ住メル野平賀右衛門ト云フモノアリ、野田ヲ耕ス折フシ俄ニ紫雲靉靆(アイタイ)ハカラズモ一尊ノ霊像ヲ得奉ル、賀右衛門難有思ヒ奉リ奇異ノ余リ感涙袂ヲソヽギテ持奉リ我室ニ入リヌ、ソノ夜賀右衛門夢見ラク、イツクトモナク御声アリテ、我ハ観世音菩薩也、我妙法ヲ信スルモノ、諸願ヲ満テ衆生ノ苦患ヲ救ヒ化度ナサシメン為ニ示現セリ、汝我ヲ勧請シテ椿大明神ト崇ムベシ、我告グル言ムナシカラズバ往キテ見ヨ椿千本生イツル地有ルベシ、我其所ニ鎮座セン、トノ異夢殊勝ナラン、賀右衛門夙ニ起キテ蓮華寺聖人日浣(檀林化主)ニ語ルニ、聖人モ亦同シク昨夜ノ夢賀右衛門ガ語ルニ少シモ違ハズ、互ニ不思議奇特ヲ語リツヽ 則郷中ニ触レテ老若ヲ招キ集メテ山野ヲ尋ヌルニ、果シテ経松ト云フ所ニ一夜ニ千本ノ椿生出シタリ、邑中ノ者大イニ驚キ喜ヒ神楽ヲ奏シ依之社ヲ造営シ奉ル、今ノ椿大明神是也。
 本地観世音ノ利益神通ハ観音妙智力能救世間苦ト法華経二十五品二世尊ノ説キ給フ、妙智力ハ乃チ妙法蓮華経也。垂跡ノ日ハ椿大明神トアラハレ給フ賀右衛門カヽル奇特ニ値ヒ奉ルコトモ偏ニ妙法ヲ信シ奉ルニヨレリ、然ラバ不思議ニ尊像再来故ニ村中ノ鎮守ト奉仰、賀右衛門神職ト改メ共ニ信心ノ輩ハ現世ノ諸願ヲ満テ未来ノ仏果ニ感スルコト必トシテ疑ヒナシ、別シテ産前産後ヲ守ルベシトノ御誓ヒ利益顕著也、安楽産福子トハ法華経ノ妙文ナリ。仰テ信シ伏テ敬フ可キモノナリ。
 明治初年 椿大明神ノ明ノ字除カレ 椿神社ト改祀ス
    祭日 一月五日 九月二十九日(陰暦)
明治四十三年改メテ十一月三日 二月十五日