南玉造字小玉六七三番地で、同集落東側台地上にある。『常磐村郷土誌』には「弘安十年丁亥(一二八七)二月朔日北辰妙見大菩薩勧請、日蓮宗ノ僧日位、匝瑳郡玉造郷小玉領主、野平伊賀守常弘ノ為ニ之ヲ創建セリ、常弘居城ノ守護神タリ、明治元年・星宮神社ト改称ス、天御中主神ヲ祀ル」と記されている。
明治の『社寺台帳』には、
千葉県管下下総国香取郡常磐村南玉造字小玉
熊野大社末社 妙見神社
一、祭神 天御中主神
一、由緒 不詳
一、社殿間敷 竪九尺横九尺
拝殿間口四間半 奥行二間
一、境内坪数 弐百拾坪
一、信徒人員 四拾五人
と記されていて、毎年二月一日に例祭が行われている。
境内にある一基の石宮に神名はなく「大正十一年二月朔日願主黒須きち」とあり、石造の手洗いには「奉納 大正十年辛酉二月一日 願主当区 黒須重次郎 雪堂書」とある。黒須重次郎は、欧州に留学して耳鼻咽喉科の権威として著名な黒須巳之吉博士の父。雪堂は旧玉作城家老富澤内蔵之助の後裔で 止々園を継ぎ、俳人・書家として知られている。また「黒須きち」は黒須博士の母である。
祭神の妙見尊は千葉一族の守護神であることから、玉造城主との関係は深かったものと思われる。